2024年4月29日 更新

【京都】『雲林院』~紫式部が生まれ、そして晩年を過ごしたゆかりの地~

「雲林院」のある北区紫野は、紫式部が生まれ、そして晩年を過ごした地です。雲林院にほど近い真珠庵には「紫式部産湯の井戸」が残されており、雲林院の東には紫式部の墓所もあります。NHK大河ドラマ「光る君へ」が話題となっている今、お参りを兼ねて見学に行ってきたので、その様子をご報告します。

紫式部が生まれたゆかりの地

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京都市北区紫野には、かつて淳和天皇(じゅんなてんのう・786-840年)の離宮・紫野院が造営され、しばしば狩猟が行われていました。
紫野院は後に仁明天皇皇子・常康親王(つねやすしんのう)に譲られ、さらに僧正・遍昭(へんじょう)が別当に招かれると官寺・雲林院となって大いに栄え、広大な敷地を誇ったそうです。
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紫式部はこうした雲林院のある紫野で生まれました。
一説には紫式部の「紫」は紫野の地名から命名されたともされています。

紫式部の産湯の井戸

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雲林院にほど近い大徳寺の真珠庵には「紫式部産湯の井戸」が残されています。
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真珠庵は通常非公開で、なかなか拝観が叶いませんが、産湯の井戸があるなど、紫式部とのゆかりの深さが窺い知れます。

紫式部のお墓 ~小野篁と隣り合う墓石の謎~

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雲林院の東・堀川通に面した路傍には紫式部のお墓もあります。
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この地で生まれた紫式部はその後、曽祖父・藤原兼輔から父に受け継がれた鴨川沿いの邸宅で過ごし、源氏物語もその地で執筆します。
現在、その邸宅跡は「蘆山寺」の敷地となっており、蘆山寺も紫式部ゆかりの地、また源氏物語執筆の地として注目されています。
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晩年になると紫式部は生誕地である紫野に戻り、雲林院の「白毫院」で過ごし、そしてこの地に葬られました。
紫式部のお墓はとても大きく、今も多くの人の手で整備管理されていました。

閻魔大王の補佐役・小野篁のお墓が隣に

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紫式部のお墓の隣には、小野篁(おののたかむら)のお墓があります。
小野篁は、昼は朝廷で官吏をし、夜は六道珍皇寺から地獄に赴き、閻魔大王の裁判の補佐をしていたという平安時代の公卿です。
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どうして小野篁のお墓が紫式部のお墓の隣にあるのかというと、紫式部は「源氏物語」で多くの人々を惑わしたという罪で、なんと地獄に落とされてしまいます。それを哀れんだ人々が、紫式部を地獄から救って欲しいと小野篁の墓を紫式部の墓の隣に移したとのだとか。
他にも諸説ありますが、いずれも紫式部を救うことが理由で、多くの人々が紫式部を偲んだことが窺えます。

今がお参りの絶好の機会

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NHK大河ドラマ「光る君へ」が話題の今、紫式部にゆかりが深い雲林院を訪れ、そして紫式部のお墓をお参りしてみるのはいかがでしょうか?

基本情報

<雲林院>
 ◇拝観時間
  ・06:30~17:00
 ◇拝観料
  ・無料

<紫式部墓所>
 ◇拝観時間
  ・見学自由
 ◇拝観料
  ・見学自由
  ※但し、この場所はあくまで墓所である為、紫式部を偲ぶご配慮をお願いします。

アクセス

<雲林院>
 ◇所在地
  〒603-8214
  京都府京都市北区紫野雲林院町23
  tel.075431-1561
 ◇電車
  ・京都市営地下鉄:北大路駅より 徒歩20分
 ◇バス
  ・京都市バス:大徳寺前より 下車すぐ
 ◇駐車場
  ・なし

<紫式部墓所>
 ◇所在地
  〒603-8165
  京都府京都市北区紫野西御所田町
 ◇電車
  ・京都市営地下鉄:北大路駅より 徒歩15分
 ◇バス
  ・京都市バス:堀川鞍馬口より 下車すぐ
 ◇駐車場
  ・なし
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