2019年9月19日 更新

【京都ぶらり】町の区画にある細い通り『図子』☆かつての寺院跡の名残り「革堂図子(こうどうずし)」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は俗に『碁盤の目』と言われる、京都の町に存在する細い通り『図子(辻子)』。かつてあった寺院・行願寺の名称を残す通り。

豊臣秀吉の都市改造後も名称を残す「革堂図子」

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上京区、茶道家元の本拠地でもあり、その関連施設が集中して立ち並ぶエリアでもあり。
住所からもそれがわかるほどですが。

その中に「革堂町」とあります。革堂といえば寺町通沿いにある行願寺の通称ですが。
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行願時(革堂)はかつてこの場所にありました。
豊臣秀吉の都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口に移転。さらに大火により、現在の場所・寺町通に移転。

かつてはこの辺りで広大な寺域を占め、地域住民から厚い信仰を集め、さらには上京の町堂(集会所)として利用。有事の際には早鐘が打ち鳴らされ住民自治の結集点として機能していた場所。
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なんとも不思議な立地の公園ですが。空いた土地の穴埋めのような形で造られたような雰囲気もあり。それだけ、豊臣秀吉の都市改造が強引だったことの表われだったりするんでしょうか。
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そんな場所、公園の南側、一条上る小川通と油小路通の間を走る東西の細い通り「革堂図子」。

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「図子(辻子)」については、以前にも紹介しましたが、もう一度おさらい。
平安京以降、条坊制度により町の区画がなされ、俗に碁盤の目状に都市整備されていることは広く知られていまが、そんな中にも例外の通りがあり、その一つが「図子(辻子)」。

寺院の移転などに伴い、生活者の利便性から生まれた細い通り。
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これまで見てきた図子の中ではわりと道幅広い通り。
そして、この辺りには細い路地や一直線ではない通りもあり、寺院移転後の町の整備になんとも苦慮したような、そんな痕跡すらうかがえます。

ぶらりと歩いて散策するには面白い場所でもあり、歩く速度でしか出会わないような発見もあり。ぜひ昔の町並みを偲ぶべく、散策してみてはいかがですか?

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