2024年3月1日 更新

【京都検定】難読地名『釜座』にはこんな由来が!幻の京都大仏ともゆかりの地☆

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は中京区にある通り名も存在する『釜座』。難読地名にも数えられ、地名の由来からかつての都の様子を知ることのできる場所。

茶道千家にもゆかりある地名『釜座』

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中京区、縦の通り・烏丸通から、横の通り・三条通を西へ向かって歩いている途中にあるエリア『釜座』。この界隈は、京都難読地名の一つにも数えられ、『かまんざ』と読みます。そこに、北へのみ伸びる縦の通り『釜座通』があります。ちなみに、京都検定ではよく出題される傾向にある基本問題。

俗に京都は碁盤の目のように通りが整備された都市と言われていますが、平安京の町並みに加え、それ以降の豊臣秀吉の時代の都市整備により加えられた通りがあり、その一つが釜座通。北は下立売通から、南は三条通まで1.2kmの通り。
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その釜座通の南側のどんつきにある建物。近代的なビル建築ですが、塀の脇には犬矢来が設置され、京都らしい風情も漂わせている建物。この時は閉館されていましたが、こちらは美術館『大西清右衛門美術館』になります。

大西清右衛門は、茶道千家御用達「千家十職」のうちのひとつである釜師。大西家は室町時代後期から400年以上続く京釜師の家柄で、代々茶の湯釜の伝統と技を受け継いでいます。
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その建物の傍らには『御釜師』の看板が上がり、最も古い釜師であることを伝えています。

元々この場所は歴史が古く、平安遷都の時代から鋳物師たちが住み着き、釜、鍋、灯篭、釣鐘、農具、工具などの生産をしていた場所。

その後、勅命により由緒ある「座」を賜り『釜座』と命名され、最盛期には70〜80軒の鋳物業者が存在したと伝えられ、地名になっています。
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また、豊臣秀吉ゆかりのお寺として知られる東山七条の方広寺には、歴史上有名な釣鐘『国家安康の鐘』があり、この釜座で造られた釣鐘であると伝わっています。

方広寺は秀吉時代に建設された京都大仏殿跡で、その遺構がこの釣鐘。大阪冬の陣、夏の陣に展開してしまうきっかけになり、豊臣家滅亡の原因となった釣鐘。

そんな歴史の転換期にかかわった鋳物の郷・釜座。今では地名とこの大西清右衛門美術館がその歴史を伝えています。美術館は釜座の歴史を知る展示品もあり、一般の方も見学できる施設だそうです。ご参考に。

基本情報

名称:釜座町(かまんざちょう)
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