建勲神社の由緒
建勲(たけいさお:けんくん)神社が船岡山に鎮座したのは、明治13年(1880)のことです。
京都の神社としては新しい部類に入りますが、船岡山は実は本能寺の変後に、豊臣秀吉が信長の廟所と定めた場所でもあります。
京都の神社としては新しい部類に入りますが、船岡山は実は本能寺の変後に、豊臣秀吉が信長の廟所と定めた場所でもあります。
しかし廟所の創建は頓挫しました。
それから300年余りを経た明治2年(1869)に明治天皇の命により、東京と山形県天童市(織田家の旧領)に信長を讃えるための「健織田社(たけしおりたのやしろ)」が創建されます。
翌年には「建勲(たけいさお)」の神号を与えられ、それから10年後に船岡山に遷座されたのです。
それから300年余りを経た明治2年(1869)に明治天皇の命により、東京と山形県天童市(織田家の旧領)に信長を讃えるための「健織田社(たけしおりたのやしろ)」が創建されます。
翌年には「建勲(たけいさお)」の神号を与えられ、それから10年後に船岡山に遷座されたのです。
初めは山麓の現在「太平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿がありましたが、明治43年(1910)に山頂へ移されて現在に至ります。
船岡山について
船岡山は平安京造営の際に四神相応の玄武が棲む位置とされ、平安時代後期には、鳥辺野(とりべの)・化野(あだしの)とともに葬送地や処刑地として利用されており、魔界スポットとしても知られています。
まさに自らを「第六天魔王」と名乗った信長がお祀りされるのにふさわしい場所です。
そんな信長のイメージが影響しているのか、両側を深い緑に覆われた建勲神社の参道を歩いていると、身が引き締まるような心持になりました。
まさに自らを「第六天魔王」と名乗った信長がお祀りされるのにふさわしい場所です。
そんな信長のイメージが影響しているのか、両側を深い緑に覆われた建勲神社の参道を歩いていると、身が引き締まるような心持になりました。
建勲神社の境内
建勲神社へは、東の大鳥居からの表参道、それに北大路通りからと南からの参道から入ることができます。
私は白木の大鳥居がある参道からお参りしました。
私は白木の大鳥居がある参道からお参りしました。
大鳥居の奥には、朱色の鳥居が続く石段があります。
その先にあるのは「義照(よしてる)稲荷神社」です。
その先にあるのは「義照(よしてる)稲荷神社」です。
義照稲荷神社の御祭神は
・宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)
・国床立大神(くにとこたちのおおかみ)
・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
の三柱で、この地を支配していた秦氏の守護神であり、西陣織の祖神です。
・宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)
・国床立大神(くにとこたちのおおかみ)
・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
の三柱で、この地を支配していた秦氏の守護神であり、西陣織の祖神です。
義照稲荷神社境内にある「命婦元宮(みょうぶもとみや)」は、伏見稲荷大社命婦社の親神である「船岡山の霊狐」がお祀りされています。
船岡山と伏見稲荷山は遠い昔より神霊の交わりが多かったとされているそうで、こんなところに伏見お稲荷さんの元宮があるとは、びっくりでした。
船岡山と伏見稲荷山は遠い昔より神霊の交わりが多かったとされているそうで、こんなところに伏見お稲荷さんの元宮があるとは、びっくりでした。
義照稲荷神社を出て石段を上り、建勲神社へ。
石段は100段少しなのですが、普段の運動不足がたたり、少し息切れが…。
石段は100段少しなのですが、普段の運動不足がたたり、少し息切れが…。
石段を登り切った先の左側にあるのが建勲神社。
そして右側には、京都市街一望スポット!
そして右側には、京都市街一望スポット!
ここから見えるのは、京都の東側とその向こうに並ぶ山々。
中央の一番高い山が比叡山です。
その右には大文字山も見えるはずなのですが、宮司さんのお話では朝のうちは霞がかかりやすくて見通しが悪いとか。
午後からならもっときれいな景色が見えるそうです。
中央の一番高い山が比叡山です。
その右には大文字山も見えるはずなのですが、宮司さんのお話では朝のうちは霞がかかりやすくて見通しが悪いとか。
午後からならもっときれいな景色が見えるそうです。
参道沿いにある石碑は、信長が桶狭間の合戦に挑む前に舞ったと伝わる「敦盛」の一節が刻まれています。
時代劇好きとしては、本能寺の変で覚悟をした信長が炎の中で舞った姿の方が印象的ですが、それはあくまでフィクション。
時代劇好きとしては、本能寺の変で覚悟をした信長が炎の中で舞った姿の方が印象的ですが、それはあくまでフィクション。
船岡山の深い緑に映える本殿や拝殿がとてもきれい。
手水舎には苔玉風の風鈴や可愛いガラス風鈴が吊り下げられていて、とても涼し気でした。
写真で見ると緑に溶け込んでわかりにくいのが残念。
写真で見ると緑に溶け込んでわかりにくいのが残念。
狛犬の台座には織田家の家紋である「織田木瓜(もっこう)」が刻まれています。
手水鉢にも「織田木瓜」
拝殿・本殿にももちろん「織田木瓜」
手水鉢にも「織田木瓜」
拝殿・本殿にももちろん「織田木瓜」
拝殿内側には、織田信長の36名功臣の額が掲げられています。
額は毎年12名ずつ掲げられて3年でローテーションしているそうです。
拝殿内には入れないので、外から確認。
額は毎年12名ずつ掲げられて3年でローテーションしているそうです。
拝殿内には入れないので、外から確認。
朝一番に参拝したので、境内にはだれもいなかったのでう、拝殿と本殿、そしてその後ろの樹々が見えるお気に入りスポットで景色を思う存分堪能しました。
建勲神社のクールな御朱印
建勲神社では信長にちなんだ御朱印や神社ゆかりの刀剣御朱印、「京都刀剣御朱印巡り」の御朱印などさまざまな御朱印をいただくことができます。
私が建勲神社へ初めて訪れたときも実は御朱印目当てでした。
でもそれがキッカケで船岡山や「けんくんさん(建勲神社の通称です)」の魅力にはまっています。
戦国好き・ミステリー好き・魔界好き(?)パワースポットめぐり・刀剣ファン・御朱印集めが趣味の方にもおすすめの船岡山・建勲神社。
ぜひ一度訪れてみてください!
でもそれがキッカケで船岡山や「けんくんさん(建勲神社の通称です)」の魅力にはまっています。
戦国好き・ミステリー好き・魔界好き(?)パワースポットめぐり・刀剣ファン・御朱印集めが趣味の方にもおすすめの船岡山・建勲神社。
ぜひ一度訪れてみてください!
建勲神社の基本情報
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