6月開園に向けあじさい準備中
寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧・行表が創建。
創建にはこんな伝承があります。天智天皇の孫・白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中あらわれる金色の霊光の正体を、右少弁・藤原犬養に調査を命じた。すると、犬養は宇治川の支流である志津川上流へたどり着き、その滝壺に丈二丈の千手観音像を見たという。さらに滝壺へ飛び込むと1枚のハスの花びらが流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変身。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのがお寺の起源で、当初は御室戸寺と称したと伝わっています。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
創建にはこんな伝承があります。天智天皇の孫・白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中あらわれる金色の霊光の正体を、右少弁・藤原犬養に調査を命じた。すると、犬養は宇治川の支流である志津川上流へたどり着き、その滝壺に丈二丈の千手観音像を見たという。さらに滝壺へ飛び込むと1枚のハスの花びらが流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変身。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのがお寺の起源で、当初は御室戸寺と称したと伝わっています。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
石段を登り詰めると本堂があり、手前には夏が見頃の花蓮の水鉢。あじさいの名所として知られるお寺ですが、こちらも名物です。
創建については伝承によるところが大きいそうですが、平安時代以降は西国三十三所巡礼に関する最古の史料『寺門高僧記』に登場。寛平年間(889 ~898年)には園城寺の円珍が留錫し、その後、花山法皇がこの地に離宮を設け、西国三十三所巡礼の第10番札所に。
康和年間(1099~ 1103年)、園城寺長吏の隆明大僧正が寺を中興し、園城寺子院の羅惹院を移す。自ら住職となり、御室戸の僧正と呼ばれるように。この頃、光仁天皇、花山法皇、白河法皇三帝の離宮になったことから御室戸寺の「御」を、「三」に替えて三室戸寺と称するようになり、今の名称につながります。
創建については伝承によるところが大きいそうですが、平安時代以降は西国三十三所巡礼に関する最古の史料『寺門高僧記』に登場。寛平年間(889 ~898年)には園城寺の円珍が留錫し、その後、花山法皇がこの地に離宮を設け、西国三十三所巡礼の第10番札所に。
康和年間(1099~ 1103年)、園城寺長吏の隆明大僧正が寺を中興し、園城寺子院の羅惹院を移す。自ら住職となり、御室戸の僧正と呼ばれるように。この頃、光仁天皇、花山法皇、白河法皇三帝の離宮になったことから御室戸寺の「御」を、「三」に替えて三室戸寺と称するようになり、今の名称につながります。
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