2022年11月8日 更新

【京都建物】平安様式の国宝阿弥陀堂と圧巻の仏像☆わざわざ訪れたい穴場寺院「法界寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区日野にあるお寺。平安時代の様式の国宝建築と木造阿弥陀仏像は一見の価値あり。

わざわざ訪れたい穴場寺院

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伏見区、醍醐寺からさらに南に下り、ちょうど伏見と宇治の間くらいの場所にある、山裾の牧歌的風景残る日野エリア。ここに真言宗醍醐派の別格本山のお寺『法界寺』があります。以前から気になっていたお寺ですが、たまたま書店で見かけた建築雑誌にこちらの阿弥陀堂が紹介されていて、今回初訪問。というか、日野自体それほど訪れたことのない場所。ですが、歴史的にみると貴重な場所でもあります。
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藤原氏の北家にあたる日野家が、弘仁13年(822年)に最澄自作の薬師如来小像を祀り、その後平安時代後期の永承6年(1051年)、日野資業が薬師如来像を造り、その小像を胎内に収め薬師堂を建立し、一族の菩提寺として建てたのがお寺の始まりとされる。

この日野の地は『方丈記』の著者・鴨長明の住んでいた地であり、浄土真宗の宗祖・親鸞の生誕地としても知られています。

その後、阿弥陀信仰の高まりにより、法界寺にも阿弥陀堂を含め幾つかお堂が建立されましたが、度重なる大火により現存する古い建物としては阿弥陀堂のみ。
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境内ではちょうど紅葉のグラデーションが見られ、静かな雰囲気の中散策でき、この時平日とはいえ拝観者は私のみでした。
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そして、こちらが国宝・阿弥陀堂。
平等院鳳凰堂と相前後して建立された藤原時代の様式を残す建物で、現在の建物は承久3年(1221年)の兵火で焼失し、まもない頃の建立されたものと推定されています。
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方五間(間口、奥行ともに柱間の数が5間)の身舎(もや)の周囲に1間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺き。
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身舎内部には国宝の本尊阿弥陀如来坐像を安置し、本尊を囲むように四天柱(方形をなすように配置された4本の柱)が立つのみで間仕切りなく、かつてはその周りを念仏を唱えながら人々が歩いてめぐったとか。

建物内部の彩色がかなり剥げ落ちてはいるが、それがかえってお堂の歴史を物語っているような雰囲気。その中に安置される木造阿弥陀如来坐像は平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式の典型的な仏像。11世紀末頃の作で、像高2.8メートル、ふくよかな面持ちは荘厳さに満ちていて間近で拝顔でき、かなり貴重な体験で、一見の価値あり。
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その隣にある薬師堂。創建当初のものは早くに焼失し、現在のものは明治37年奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したもので、棟札から室町時代、康正2年(1456年)の建築と分かる。本尊・重要文化財の秘仏・薬師如来立像は平安時代後期の作。立像胎内に小像を収めていることから、妊産婦からの信仰を集め、安産や授乳のご利益をもつ「乳薬師」として古くから信仰を集めています。現在も、お堂の格子戸には数多くのよだれ掛けが奉納されています。
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境内の南側には蓮池が広がり、蓮の花のシーズンには多くの方が撮影に来られるとか。蓮の隠れた名所でもあり。
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安永9年(1780年)の『都名所図会』にもお寺の全容が描かれ、当時からのこのあたりの長閑な雰囲気と、その歴史の古さを物語っています。
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回遊式の庭園になっており、蓮の花のシーズンにはきっと極楽浄土を思わせるような蓮の花に浮かぶ阿弥陀堂の風景が見られるんだろうな、と。またその時期に再訪したお寺です。オススメです!

詳細情報

名称:法界寺
場所:京都市伏見区日野西大道町19
電話:075‐571‐0024
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