2021年6月9日 更新

【京都ぶらり】スイーツ和菓子好き必訪☆嵯峨嵐山の紅葉名所二尊院内「小倉餡発祥の地」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は右京区嵯峨野にある古刹・二尊院境内にある石碑。その場所が和菓子の基本である小倉餡発祥の地と伝える。

和菓子の要・小倉餡発祥の場所

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右京区嵯峨野。ここに平安時代初期に創建の天台宗寺院『二尊院』があります。小倉百人一首ゆかりのお寺でもあり、境内には藤原定家が営んだ時雨亭跡もあります。
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紅葉や青もみじの名所として知られ、その代表的スポットである参道『紅葉の馬場』。この時期は青もみじのトンネルが清々しい雰囲気。
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本堂のご本尊には「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像が祀られ、それが『二尊院』の名の由来になったと言われています。
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さらに、境内には多くの偉人たちのお墓があり、江戸時代、この嵯峨・嵐山エリアの開削工事を手掛けた豪商・角倉了以や、つい先日亡くなられた俳優・田村正和さんの父であり名役者だった阪東妻三郎さんや兄・田村高廣さんのお墓も。
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そんな境内の一角。
少し広いスペースの中央にかなり大きめの石碑。
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石碑には『小倉餡発祥之地』と書かれています。
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その石碑の裏側に、かなり詳細にその説明文が。
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石碑には以下のようなことが書かれています。


小倉餡発祥の由来

 日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは平安京が出来て間もなくの八百二十年のことであります。
 当時、このあたり小倉の里に和三郎という菓子職人がいて、亀の子せんべいを作っていましたが八百九年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加え、煮つめて餡を作り、これを毎年御所に献上されました。 その後、この和三郎の努力で洛西を中心に小豆が広く栽培され、江戸時代には茶道の菓子にも用いられ、ハレの料理にも加えられるようになりました。
 和三郎は承和七年二月二日(840年)に亡くなりましたが、その子孫並びに 諸国同業の人々がその功績をたたえて小倉中字愛宕ダイショウの里に一社を建て、朝廷の允許を得て、屋号が亀屋和泉でありましたので、和泉明神としてまつられるようになりました。
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その後年月を経て明神の社は兵火に焼かれ、子孫も絶えて、 只古老の伝承として伝えられてきましたが、昭和二十三年三月に嵯峨商工研究会の席上にて藤本達造氏を含め 高桑義正、 鈴木広政、都田左兵衛(五代)、中路明の諸氏の方々から此の伝承が確認されています。
今ここに創業二百年を記念してこの碑を建立することにより、小倉餡の歴史を 解明する端緒となれば幸いです。

平成十七年三月六日

井筒八ツ橋本舗 六代 津田佐兵衛建之
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この文中にある『小倉中字愛宕ダイショウ』は現在の落柿舎あたりのようで、かつてはあのあたりに社があったんでしょうか。

今では餡子の別名を『小倉』と呼んだりしていますが、その語源はここからきているんですね。
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そして、境内にはこの石碑を建立した井筒八ツ橋本舗の茶店『四季庵』もあり、この日は営業されていませんでしたが、小倉餡を使ったおぜんざいなどの甘味を提供されているようです。

小倉餡発祥の地で食べるおぜんざいはきっと格別の美味しさ。和菓子の歴史を紐解く場所でもあり。

詳細情報

名称:小倉餡発祥の地(二尊院境内)
場所:京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
電話:075-861-0687
拝観時間:9:00~16:30(受付終了)
拝観料:大人(中学生以上)500円、小人(小学生以下)無料
公式サイト:https://nisonin.jp/
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