2021年2月16日 更新

【穴場】三重塔に潜む『隅鬼』を探せ!京都と奈良の府県境にある花の寺「岩船寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は奈良との府県境、京都府木津川市加茂町の山間にある秘境寺院。アジサイの名所としても知られ、愛らしい『隅鬼』も必見。

平安時代創建の仏像マニア必訪の古刹

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京都府木津川市加茂町。ちょうど奈良との府県境。以前からこの辺りに興味があり、車で観光がてらやってきました。

このあたりは『当尾(とうのお)』と呼ばれる地域で、京都府の文化財環境保全地区。平安時代から室町時代の石仏や石塔が点在する地区。京都最南端の場所ということもあり、京都市内や他の地域の寺院にはない、独特の雰囲気を求めやってきました。

で、ここに来る前、同じ地域にある浄瑠璃寺も拝観したわけですが、静かでとても雰囲気のいいお寺でした。
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その浄瑠璃寺からさらに山道を登る、石段の先にあるお寺。
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その参道両側には野菜やお漬物など、地域の農産品の無人販売スペース。なんとものどかな様子。
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そして、石段を上った先に『岩船寺(がんせんじ)』があります。こちらも浄瑠璃寺と同様に、平安時代創建の真言律宗のお寺。

天平元年(729年)に聖武天皇が大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(ぜんこんじ)にいた行基に阿弥陀堂を建立させたことに始まる。

のちに弘法大師とその甥である智泉大徳が伝法灌頂(かんじょう)を修し灌頂堂として新たに報恩院を建立したのが草創の始まりとされる。

そこに、嵯峨天皇が智泉に命じて皇子誕生の祈願をさせたところ弘仁元年(810年)に正良親王(仁明天皇)が誕生し、弘仁4年(813年)には檀林皇后(橘嘉智子)が本願となって堂塔伽藍を整備。この時に岩船寺と寺号を改名。 弘安2年(1279年)に寺基を現在地に移す。
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最盛期には寺塔が39坊あり、承久三年(1221年)の兵火(承久の乱)により大半が焼失。のちに再建するも応長頃(1311年)堂宇も兵火によって焼失。寛永年間頃(1624~43年)に徳川家康・秀忠らの寄進により修復されたと伝わる。

岩船寺は浄瑠璃寺と共に長く興福寺一乗院の末寺でしたが、明治時代の廃仏毀釈によって岩船寺は無住となり、明治14年(1881年)、真言律宗西大寺の末寺に。

こちらの本堂は昭和63年(1988年)に再建された建物で、平安時代の阿弥陀如来坐像を安置。
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中の様子はもちろん撮影禁止でしたが、ご本尊である阿弥陀如来坐像は天慶9年(946年)の作で、その四方に鎌倉時代作の四天王立像。他にも平安~室町時代作の仏像が数々あり、仏像マニア必見の貴重な作。

御朱印も数種類。
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ご本尊である阿弥陀如来の御朱印をいただきました。
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境内の中央に池があり、その周囲には四季折々の花々が楽しめ、アジサイの名所として知られ、別名『花の寺』とも呼ばれています。


さらに山の斜面に建つ三重塔。
承和年間(834年 - 848年)、仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで三重塔を建立したと伝わる。現存する塔は室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立されたもので、初重の内部には来迎柱を立て、須弥壇と来迎壁を設けてあります
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各層の屋根を支える四隅の垂木には天邪鬼(あまのじゃく)である『隅鬼(すみおに)』が彫刻されています。
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これが三段四隅にあります。

お寺では隅鬼をあしらったTシャツや土鈴も販売されていて、ちょっとした名物キャラ。鬼と言いつつ、どことなく愛らしさもあります(笑)ぜひ、見つけてみてください。
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鐘楼は報恩の鐘。一突きさせていただきました。
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さらに境内には花崗岩製の珍しい建築の石室不動明王立像。鎌倉時代の作。奥壁には一枚石薄肉彫りの不動明王立像を祀る。
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さらに地蔵石仏や十三重石塔、五輪塔など、石造物が目立ち、昔も今もこのあたりに岩石が豊富にあったことがうかがえます。

時代と立地的要素を併せ持った興味深いお寺で、遠方から足を運んで拝観する価値あり。オススメです!

詳細情報

名称:岩船寺
場所:京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43 
電話:0774-76-3390
公式サイト:http://gansenji.or.jp/
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