天下人・豊臣秀吉の治水整備遺構
かつてここには豊臣秀吉によって築造された、宇治川の治水に備えた堤がありました。豊臣秀吉は、文禄3年(1594)に完成した伏見城築城を契機として、宇治川・淀川等の付け替えなど大規模な治水工事を敢行。
宇治川はそれまで宇治橋下流から分流して北西方に流れ巨椋池に合流していましたが、北方に流れる流路にまとめ、伏見城下に導水。それに伴い、この辺りに堤(堤防)が設置。
この宇治川太閤堤跡は、16世紀末築造されたのち河川氾濫のため埋没。近代に新たに現堤防が築かれ河川範囲から外れたため良好な状態で遺構が見つかり、当時の治水・交通に関する施策と土木技術を具体的に示す貴重な遺跡として保存。
宇治川はそれまで宇治橋下流から分流して北西方に流れ巨椋池に合流していましたが、北方に流れる流路にまとめ、伏見城下に導水。それに伴い、この辺りに堤(堤防)が設置。
この宇治川太閤堤跡は、16世紀末築造されたのち河川氾濫のため埋没。近代に新たに現堤防が築かれ河川範囲から外れたため良好な状態で遺構が見つかり、当時の治水・交通に関する施策と土木技術を具体的に示す貴重な遺跡として保存。
基本情報
名称:宇治川太閤堤跡
場所:京都府宇治市莵道丸山77
場所:京都府宇治市莵道丸山77
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