2019年10月1日 更新

【京都産業遺産】日本初の鉄筋コンクリート橋!琵琶湖疏水に架かる明治時代の建築☆「第11号橋」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は琵琶湖疏水に架かる、明治建築の日本初の鉄筋コンクリート橋。シンプルな構造でありながら、当時の最先端技術を駆使した名橋。

日本初の鉄筋コンクリート橋

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山科区にある琵琶湖の湖水を引く明治時代に作られた水路・琵琶湖疏水。国の史跡に指定され、四季折々でその景観が楽しめ、地元民にとっては憩いの場。疏水べりの遊歩道をランニングする人や釣りをする人など。

最近では琵琶湖疏水通船も開通し、乗船しながら疏水の史跡めぐりも可能になったり。
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琵琶湖から蹴上インクラインまでのルート。
途中、いくつかの橋やトンネルを通るわけですが、明治時代の建築であるレンガ造りのトンネルや、そのトンネル入り口に掲げられた扁額をめぐるのもまた人気。
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今回はそんな琵琶湖疏水に、日本初の鉄筋コンクリート橋があるというのでやってきました。当然明治時代の歴史的建造物。
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草むらに埋まった状態の石碑を発見し、これがその日本初の鉄筋コンクリート橋か、と認識。
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橋のすぐ西側には第3トンネルが口を開けて、湖水を飲みこんでいます。
その口の上にある扁額には第4・6代内閣総理大臣だった松方正義作『過雨看松色』と書かれています。時雨がすぎると、一段と鮮やかな松の緑をみることができる、という意味。
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幅1メート強。明治36年(1903)年につくられた鉄筋コンクリート橋。
当時はこんな手すり部分はなかったそうですが、 現在は転落防止のため、柵が設けられています。
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橋の上から景観を眺めてみます。
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橋の東側には、現在新山科浄水場取水池として利用されていますが、日ノ岡船溜(ひのおかふなだまり)がここにあり、疏水を行き交う船の停泊場所に。
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奥にはさらに立派な石碑があり、『本邦最初鉄筋混凝土橋』とあります。コンクリートって漢字で書くと『混凝土』なんですね。
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当時鉄筋コンクリートとは言っても、鉄筋専用の材料がなかったため、疏水工事で使ったトロッコのレールが代用。緩やかなアーチ型。
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裏をのぞき込むと、明治建築とはいえ崩れないよう補強された鉄柵でガードされています。後付だと思いますが。
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かつては船着き場の橋として活躍したんでしょうね。今ではひっそりと目立たない存在ですが。
明治時代、都が東京に移り、意気消沈した市民が活気を取り戻すべく京都に広まった一大産業革命。その一端ともなった名橋。散策してみてください!

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基本情報

名称:第11号橋
住所:京都市山科区日ノ岡堤谷町
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