2020年5月7日 更新

【京都ぶらり】明治時代整備された防災文化遺産!琵琶湖疏水を用いた防火用水道「本願寺水道」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は防災の観点から明治時代に整備された文化遺産。東本願寺を火災から守るためにつくられた防火用水道。

江戸時代の大火を教訓に整備された防火用水道

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地下鉄蹴上駅から疏水インクラインへ。すぐ近くには琵琶湖疏水公園があり、さらに山側に上っていく。
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すると、インクラインの船泊が出てきます。ここから西へ下るレール風景は、蹴上インクラインならではの光景。
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そんな高台に地名の由来ともかかわり牛若丸ゆかりの地・義経地蔵。
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その左手に、柵で囲われたスペースが。中には水槽があります。

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じつはこちら、明治時代に敷設された下京区にある通称『お東さん』で知られる浄土真宗大谷派の本山・東本願寺独自の防火用水道の水源地。琵琶湖疏水の水を、埋設された約4.6㎞の水道管を通り、東本願寺まで運んでいます。
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この水源地から東本願寺までの高低差約48mを利用し、自然水圧で水を噴き上げるというもの。東京遷都から衰退する京都を奮い立たせた一大事業の一環で、当時の社会事情では到底成しえなかった斬新で大掛かりな防災システム。近代の防災文化遺産とも言えます。

この水道を基に要所をたどってみます。
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水源地から三条通に沿って、途中東大路通り脇を通り、円山公園内を経由。さらに建仁寺脇を通り、五条通りへ。そして、五条大橋へ。

平安時代末に牛若丸と弁慶が出会ったという伝説で知られ、橋の上にはそのモニュメント像もあります。平安時代の五条通は現在の松原通に相当することから、当時の「五条の橋」は現在の松原橋付近とする説が有力と言われていますが。
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水道管自体、基本地中に埋まった状態なわけですが、ここでその一部が垣間見れます。
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鴨川沿いの遊歩道から五条大橋の真下へ。すると、何本か水道管が橋の下を通っていますが、その一つ。これが、その本願寺水道にあたります。ベルギー製の鋳鉄管を使用。当時としては、かなり高価で、この事業に莫大な予算を投じたことが想像できます。それだけ京都の威信がかかっていた事業ともいえます。
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五条通りから渉成園を経て、東本願寺へ。
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お寺の周辺のお堀。これが水道を兼ねています。
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さらに寺前の噴水。高低差を利用した自然な水圧で水が噴き出る仕組みに。

明治30年(1897年)完成から100年以上経過し、現在では老朽化が進み、平成20年(2008年)に停水。しかしながら、地域防災の観点から再び注目を集め、その復活が地域住民の間で望まれています。ちょっと他にはない、京都ならではの防災遺構ですね。

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マップ

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