2019年12月23日 更新

【京都街道ぶらり】江戸と京都を結ぶ大動脈『東海道』の分岐点!登録文化財の石標も☆「五条別れ」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回はかつて江戸と京都を結ぶ大動脈だった『東海道』。その途中にある分岐点。その石標は京都市指定の登録文化財。

江戸時代に建てられた道標

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山科区、JR駅前を南へ下り、すぐの交差点。
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さらに南へ下ると三条通に当りますが、こちらの細い道が旧三条通。つまり旧東海道。
昔から京都と東国を結ぶ日本の大動脈だった街道。
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江戸幕府を開いた徳川家康は、その支配を盤石なものとする一策として、道路整備に着手。この時五街道を整備しましたが、その一つがこの東海道。

江戸の日本橋から京都三条大橋までの間、53つの宿場町を設けたことから、東海道53次と呼ばれ、浮世絵にも登場。
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昔の街道らしく、古い造りの家も若干通りには残っています。その途中には、こんな街道らしい石造りの道標も。

古い家屋や愛宕参拝の常夜燈。こんな場所からすでに愛宕山の道標。昔は愛宕山行くのも、かなりの一大事だったことがうかがえます。
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さらに西へ。三条大橋に向かうことになります。
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その途中、古そうな石標。
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その横、ステンレス製の標柱があり、『史跡 五条別れ道標』と書かれています。


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じつはこの石標、京都市指定の登録文化財、史跡になります。

江戸時代に建てられたもので、東からの通行人に五条・伏見方面への近道となる分岐点を示す役割を担ったもの。
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石柱の面によって書かれている内容が違い、それによって方角を表しています。
石標の東面『左ハ五条橋 ひがしにし六条 大佛 今ぐまきよ水 道』と書かれています。大佛はかつての七条大仏、きよ水は清水寺ですね。
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北面『右ハ三条通』。この通りをまっすぐ行けば三条通ということですね。
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さらに西面『願主 沢村道範』。
この頃、ほかにも同様の石標が建てられ、いずれもこの沢村道範という人が建立。
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南面『宝永四 丁亥 年十一月吉日』。建立された時期ですね。
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その五条へと向かう道がこちら。昔もこんな道幅だったんですかね。京都薬科大学横を通る細道。ここを南下してみます。
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すると現在の三条通に当ります。今の旧三条通とは比べものにならないほどの交通量。当然と言えば当然ですが。

さらにこの通りは南へ続き、五条通へとつながります。
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バス停の駅名も『五条別れ』。

昔の呼び名として、分岐点に『別れ』と付けるのが京都流のようで、他にも『柊野別れ』という地名があり、こちらも分岐点を指します。

なんとも古めかしい昔の呼び名がそのまま地名になった場所。かつての様子が偲ばれますね。

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