奈良にほど近いJR加茂駅
現在の関西本線の前身で明治の5大私鉄の一つとうたわれた「関西鉄道(かんせいてつどう)(株)」が名古屋方面から大阪への進出を目指し、「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1kmの所に仮設的に作った「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌年に開通した奈良駅までの通称です。
「大仏駅」の開業は明治31年(1898)4月19日、「加茂駅~大仏駅」が開通し“赤いイギリス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった”と当時の新聞が報道してます。客車は「小さな部屋が十個ほどつながっているような感じで、一室に五人くらい。座席は板で隣の部屋には降りなければ移れない」加茂の人たちは汽車を「マッチ箱」と呼んでいたそうです。
この脚光を浴びた花形路線も急坂の黒髪山トンネル(勾配が25‰(パーミナル))越えの難関では、イギリス製(ナスミス・ウィルソン社)の新鋭機関車においても走行は困難を極め、「汽車の速度は遅く、機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だと途中でとまってしまう。黒髪山の丘陵が登れなかったときは、客が降りて押したり、法蓮村(奈良市)の人たちが押しに行った」と伝えられています。また石炭の消費量も多かったそうです。
新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年鉄道の国有化法により僅か9年間で廃止となりました。
「大仏駅」の開業は明治31年(1898)4月19日、「加茂駅~大仏駅」が開通し“赤いイギリス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった”と当時の新聞が報道してます。客車は「小さな部屋が十個ほどつながっているような感じで、一室に五人くらい。座席は板で隣の部屋には降りなければ移れない」加茂の人たちは汽車を「マッチ箱」と呼んでいたそうです。
この脚光を浴びた花形路線も急坂の黒髪山トンネル(勾配が25‰(パーミナル))越えの難関では、イギリス製(ナスミス・ウィルソン社)の新鋭機関車においても走行は困難を極め、「汽車の速度は遅く、機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だと途中でとまってしまう。黒髪山の丘陵が登れなかったときは、客が降りて押したり、法蓮村(奈良市)の人たちが押しに行った」と伝えられています。また石炭の消費量も多かったそうです。
新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年鉄道の国有化法により僅か9年間で廃止となりました。
点在する遺構を散策
わたしは1937(昭和12)年生まれ。石炭をもやして蒸気をつくり、その力ではしる蒸気機関車です。「C57」のなかまはほかに200輌。日本のあちこちではたらきました。わたしの自慢は、スピードのはやさとスタイルのよさ。急行列車をひいて、はやく走るために、大きな車輪をつけてもらったら、スタイルもよくなりました。だから、わたしのニックネームは「貴婦人」。上品な女の人のようなかんじがするのだそうです。このあだ名も自慢のひとつです。
わたしのはたらいていたのは、すぐよこを通っている関西本線。急行列車や特別列車をひいて走ったこともあります。あたらしい電車を見ると、また走りたくなるけれど、ここでのんびりとみんなを見まもっていることにしましょう。大切にしてくれたらうれしいなぁ、と思います。
昭和47年6月15日保存 加茂町・加茂駅 (案内板より)
わたしのはたらいていたのは、すぐよこを通っている関西本線。急行列車や特別列車をひいて走ったこともあります。あたらしい電車を見ると、また走りたくなるけれど、ここでのんびりとみんなを見まもっていることにしましょう。大切にしてくれたらうれしいなぁ、と思います。
昭和47年6月15日保存 加茂町・加茂駅 (案内板より)
レンガや石造りの立派な遺構
大仏鉄道 へのツイート
鉄道用どころか大仏鉄道の遺構だったとは… pic.twitter.com/Zub9VWcoIG
— LEVEL7G(なな爺)@高等遊民 (@level_7g) 2016年11月2日
詳細情報
via www.0774.or.jp
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京都から奈良に行くにはJRか車ですが、ほぼ素通りする場所。こちらがJR加茂駅。