一世を風靡した日本画の巨匠・円山応挙邸宅跡
この地に居を構えたのは、若い頃、近くの四条道場金蓮寺(こんれんじ)の境内に借家住まいをしていた関係からと伝わっています。かつてアトリエとしていた四条寺町の大雲院(現東山区祇園町)へ通うにも都合のいい立地だったとか。
寛政5年(1793年)応挙は病にかかり、その後に歩行の自由を欠き視力も衰えるも、毎年伏見の梅渓(うめだに。現伏見区桃山)へ梅見物に出かけたという。亀山侯依頼の名作「保津川図」を描いて間もなくの同7年(1795年)、63歳没。
円山応挙の来歴から、その才能故に超売れっ子絵師だったことがわかり、さらにかつての京都の町並みも今とは違う風情だったことが感じ取れます。そんなことが偲ばれる史跡ですね。
寛政5年(1793年)応挙は病にかかり、その後に歩行の自由を欠き視力も衰えるも、毎年伏見の梅渓(うめだに。現伏見区桃山)へ梅見物に出かけたという。亀山侯依頼の名作「保津川図」を描いて間もなくの同7年(1795年)、63歳没。
円山応挙の来歴から、その才能故に超売れっ子絵師だったことがわかり、さらにかつての京都の町並みも今とは違う風情だったことが感じ取れます。そんなことが偲ばれる史跡ですね。
基本情報
名称:円山応挙宅址
場所:京都市下京区四条通堺町東入南側
場所:京都市下京区四条通堺町東入南側
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京都市内の中でも一際華やかで、百貨店や商業施設が立ち並ぶ繁華街・四条通。さらに銀行やオフィスビルも集中するビジネス街でもあり。そして、日本三大祭りの一つ、祇園祭の山鉾が建ち並ぶ通りでもあり。