祇園祭で盛り上がる四条烏丸スグの場所にある史跡
与謝蕪村は享保元年(1716年)に大阪で生まれ、20代には関東へ渡り、俳句づくりにいそしむ。特に俳人松尾芭蕉を敬愛し、その行脚生活に憧れ芭蕉の足跡を辿り、修行僧を装い東北地方を周遊し、絵を宿代の代わりに置いて旅をするような修行時代を過ごしました。
その後、36歳で知恩院あたりで暮らし、3年足らずで宮津へ。宮津時代には本格的に画の勉強を開始。その後42歳で京都に定住。その間結婚し娘を授かり、画を売って生計を立てる決心。途中単身讃岐に赴き多くの作品を残し、また京都に戻り居を転々としつつ、この場所に落ち着き活動し、62歳でその生涯を閉じました。
当時この界隈に住む画人・円山応挙や伊藤若冲、池大雅とも交流があり、画人として多くの刺激を受け、その才能をさらに開花させていったと言われています。俳人としてのイメージの強い与謝蕪村ですが、後年は画人としての趣が強かったようです。個人的に、この機会に与謝蕪村作の画集にふれてみたりしましたが、とても個性的で魅力的な画風。なんといいますか、味わいある漫画のヘタウマ要素があったり。若干、漫画家吉田戦車のような画風の作品もありクスッと笑えるものも(笑)
その後、36歳で知恩院あたりで暮らし、3年足らずで宮津へ。宮津時代には本格的に画の勉強を開始。その後42歳で京都に定住。その間結婚し娘を授かり、画を売って生計を立てる決心。途中単身讃岐に赴き多くの作品を残し、また京都に戻り居を転々としつつ、この場所に落ち着き活動し、62歳でその生涯を閉じました。
当時この界隈に住む画人・円山応挙や伊藤若冲、池大雅とも交流があり、画人として多くの刺激を受け、その才能をさらに開花させていったと言われています。俳人としてのイメージの強い与謝蕪村ですが、後年は画人としての趣が強かったようです。個人的に、この機会に与謝蕪村作の画集にふれてみたりしましたが、とても個性的で魅力的な画風。なんといいますか、味わいある漫画のヘタウマ要素があったり。若干、漫画家吉田戦車のような画風の作品もありクスッと笑えるものも(笑)
詳細情報
名称:与謝蕪村宅跡
場所:京都市下京区仏光寺烏丸通り西
場所:京都市下京区仏光寺烏丸通り西
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