2022年7月13日 更新

【京都ぶらり】祇園祭最中のビジネス街にある著名な俳人&画家だった「与謝蕪村宅跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は下京区烏丸仏光寺西にある俳人であり画家であった与謝蕪村の邸宅跡。

祇園祭で盛り上がる四条烏丸スグの場所にある史跡

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下京区、烏丸仏光寺通りを西へ。四条烏丸からもスグで、京都イチの繁華街でありビジネス街でもある場所。通り沿いには商業施設中心に立ち並びます。
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この時ちょうど祇園祭前祭の鉾建て期間中で、すぐ近くにある鶏鉾の鉾建ての真っ最中。そこから少し南に下ったあたり。

その仏光寺通り沿いに、江戸時代に画人であり俳人として活躍した与謝蕪村の邸宅跡があると聞きやってきました。
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こちらは京町家づくりの呉服商。祇園祭シーズンということでしょうか。お店前には提灯も飾られています。
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そんな傍らにある案内板と石碑。ここが探し求めていた与謝蕪村宅跡であり蕪村終焉の地にあたります。
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与謝蕪村は享保元年(1716年)に大阪で生まれ、20代には関東へ渡り、俳句づくりにいそしむ。特に俳人松尾芭蕉を敬愛し、その行脚生活に憧れ芭蕉の足跡を辿り、修行僧を装い東北地方を周遊し、絵を宿代の代わりに置いて旅をするような修行時代を過ごしました。

その後、36歳で知恩院あたりで暮らし、3年足らずで宮津へ。宮津時代には本格的に画の勉強を開始。その後42歳で京都に定住。その間結婚し娘を授かり、画を売って生計を立てる決心。途中単身讃岐に赴き多くの作品を残し、また京都に戻り居を転々としつつ、この場所に落ち着き活動し、62歳でその生涯を閉じました。

当時この界隈に住む画人・円山応挙や伊藤若冲、池大雅とも交流があり、画人として多くの刺激を受け、その才能をさらに開花させていったと言われています。俳人としてのイメージの強い与謝蕪村ですが、後年は画人としての趣が強かったようです。個人的に、この機会に与謝蕪村作の画集にふれてみたりしましたが、とても個性的で魅力的な画風。なんといいますか、味わいある漫画のヘタウマ要素があったり。若干、漫画家吉田戦車のような画風の作品もありクスッと笑えるものも(笑)

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その隣のビルの壁には、わりと新しく建立された雰囲気の蕪村の句碑もありました。

しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり

これは死を前に蕪村が詠んだ辞世の句にあたり、季語は春をあらわす『しら梅』。白々と夜明けとともに白梅が浮かび上がる、そんな様子を詠んだ句。蕪村は春を待たずして天明3年(1783)12月25日にこの場所で亡くなりましたが、この時すでに気持ちのうえでは春に向かっていたことをうかがえます。蕪村が暮らしていたころから、夏には祇園祭で今のように盛り上がっていた場所だったんでしょうね。そんな今と昔をつなぐ場所ですね。

詳細情報

名称:与謝蕪村宅跡
場所:京都市下京区仏光寺烏丸通り西
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