2023年8月24日 更新

【京都検定】四条烏丸ビル群にひっそりたたずむ祇園祭ゆかりの地☆八坂神社「大政所御旅所」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は下京区、四条烏丸から下がった場所にある、日本三大祭りにも数えらえる祇園祭ゆかりの地。

繁華街・四条烏丸の高層ビル群の谷間にある小さな祠

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下京区、四条烏丸のビル群ひしめく場所。そこから南、仏光寺通を少し下がったあたり。高層ビルの間の狭小スペースにある小さな石造の鳥居と、その奥に祠らしき建物。
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ここに日本三大祭りの一つに数えられ、京都の代表的な夏の風物詩として知られる祇園祭ゆかりの地『大政所御旅所』があります。『大政所(おおまんどころ)』というと、豊臣秀吉の生母?と一瞬勘違いしそうですが。
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ここはかつて八坂神社の御旅所のあった場所で、祇園祭の神輿渡御の際、三基の神輿のうち、大政所(素戔嗚尊)神輿(中御座)と八王子(八柱御子神)神輿(西御座)の二基が安置された場所で、二基の神輿を『大政所』と呼んでいました。天延二年(974年)に、この地に住んでいた秦助正が夢の中で八坂大神の神託を受け、八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て、朝廷にこのことを奏上したところ、第64代円融天皇も同じ夢を見たことから、助正は神官に命じられ、自宅が祇園社の御旅所に。

ちなみにもう一基、少将井(櫛稲田姫命)神輿(東御座)は烏丸竹屋町にあった少将井御旅所に渡御していました。

天文五年(1536年)大政所御旅所は焼失。この祠の背景に小さいながら銀杏の木がありますが、一度焼失したことの教訓として、火伏せの木として知られる銀杏がお守りになっているんでしょうね。さらに天正十九年(1591年)豊臣秀吉の都市整備により、これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて、現在の御旅所となりました。言わば、元祖御旅所の一つがここ、ということになりますね。
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鳥居の扁額『八坂大神』ではなく『八阪大神』となっていますが、かつては『阪』と書いていたんですかね。現在でも祇園祭還幸祭の神輿渡御では、神輿がここに立ち寄り、神職が拝礼されます。

千年以上の歴史を持つ祇園祭。その歴史の古さからさまざまな変革もあったことを知る場所ですね。

基本情報

名称:大政所御旅所
場所:京都市下京区大政所町678−3
電話:075‐561ー6155
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