NHK大河ドラマでも注目された後鳥羽上皇ゆかりの地
見ると、『五辻殿跡』と書かれていて、この南側は市立嘉楽中学校があります。
五辻殿は、後鳥羽上皇(1180年~1239年)の院御所(退位した天皇の住まい)として、元久元年(1204年)から使用された邸宅。後鳥羽の御所は十数か所あったとされていますが、こちらは上皇の生母七条院藤原殖子(1157年~1228年)の弟・坊門信清(1159年~1216年)が造営したもの。
後鳥羽上皇といえば、昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で歌舞伎俳優・尾上松也さんが演じ、源「実朝」の命名をした人物。さらに文武両道で、和歌の才能にも長け新古今和歌集の編纂でも知られています。最終的に承久の乱で幕府軍に敗れ、隠岐島へ島流しになりましたが、京都市内には後鳥羽上皇ゆかりの史跡がいくつか見られます。
石碑は大正5年(1916年)、京都市教育会により五辻殿推定地(五辻通浄福寺西入南側)に建てられ、後に嘉楽中学校に移動し、さらに平成11年(1999年)にこの地に移されました。
五辻殿は、後鳥羽上皇(1180年~1239年)の院御所(退位した天皇の住まい)として、元久元年(1204年)から使用された邸宅。後鳥羽の御所は十数か所あったとされていますが、こちらは上皇の生母七条院藤原殖子(1157年~1228年)の弟・坊門信清(1159年~1216年)が造営したもの。
後鳥羽上皇といえば、昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で歌舞伎俳優・尾上松也さんが演じ、源「実朝」の命名をした人物。さらに文武両道で、和歌の才能にも長け新古今和歌集の編纂でも知られています。最終的に承久の乱で幕府軍に敗れ、隠岐島へ島流しになりましたが、京都市内には後鳥羽上皇ゆかりの史跡がいくつか見られます。
石碑は大正5年(1916年)、京都市教育会により五辻殿推定地(五辻通浄福寺西入南側)に建てられ、後に嘉楽中学校に移動し、さらに平成11年(1999年)にこの地に移されました。
詳細情報
名称:五辻殿跡
場所:京都市上京区五辻通千本東入北側
場所:京都市上京区五辻通千本東入北側
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ちなみに五辻通は大宮通から上七軒・北野天満宮東門前の御前通までの東西を走る通りで、江戸期には糸問屋が集まり、現在も織物や機業の京町家が点在する古い佇まいの通り。他、京都屈指の老舗もあったり。