2021年4月3日 更新

【京都ぶらり】NHK大河ドラマ『八重の桜』ゆかり☆京都初の女学校史跡「女紅場址」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区神宮丸太町、鴨川丸太町橋西詰にある史跡。京都初の女学校の前身。NHK大河ドラマヒロイン・新島八重ゆかりの場所。

京都で最初に設立された女学校

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京都市内の中心を流れる鴨川。四季折々でその移ろいを感じさせる市民憩いの場所であり、数々の古都の歴史を紐解く重要スポットでもあり。
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そんな鴨川、丸太町橋西詰。正12年(1923年)京都中央電話局上分局の庁舎として建築された歴史的建造物。
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現在ではスーパーマーケットやフィットネスジムなどの商用利用で活用されている建物ですが、国の登録有形文化財、京都市登録有形文化財になっています。
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その建物のちょうど角にある古そうな石標。『女紅場址(にょこうばあと)』と書かれています。

女紅場とは、明治初期に設置された読み書き算盤や裁縫・手芸を教育する女子教育機関。「女紅」とは「女工」とも表記し、女子の裁縫・手芸・染色などを指し、「紅」とは、工・巧・功を意味します。
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明治5年(1872)、九条家河原町別邸内に設置され、英学と女工(手芸・手工)の二科を置き、英国人イーバンス夫妻を教師に招き『新英学校女紅場』を開校。

当時、『女紅場』と名付けられた女子教育機関は数々ありましたが、特に華族や士族の子女のために設置された女学校の代表例がこちらで、京都で最初。

かつて同志社大学を創立した新島襄・新島八重をモデルに描いたNHK大河ドラマ『八重の桜』のゆかりの地としても知られ、新島八重が京都で初めてここの教師として織物を教えた学校。
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新英学級及女紅場は、のちに京都府立京都第一高等女学校を経て、現在の京都府立鴨沂(おうき)高等学校になり、かつての女紅場が女子校へと変遷をとげた代表例。この石碑は1942年に京都鴨沂会により建立されたもの。

最近では少子化に伴う再編もあり、京都の歴史ある女子校で共学になった学校も多く、変遷の一途ですが。そういった意味で、学校の近代史も垣間見れる場所ですね。

基本情報

名称:女紅場址
場所:京都市上京区駒之町
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