2023年3月14日 更新

【京都史跡】豊臣秀吉の築造『御土居』&NHK大河ドラマでも注目『山本覚馬・八重邸宅』

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は中京区、河原町御池西南角にある石碑。戦国武将・豊臣秀吉とNHK大河ドラマ『八重の桜』ゆかりの史跡。

2つの史跡が残る場所

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中京区、河原町御池西南角。いつもよく通る場所に、今まで気づかなかった石碑と案内板。
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2013年に建立されたものですが、ちょうど落ち椿の艶やかさに見入っていて、史跡があることに気づきました。京都あるあるなのか、こちらは2つの歴史を併せ持つ場所。案内板にも2つの史跡が併記されています。
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まずは時代の古い方から。
天下統一を成し遂げた戦国武将・豊臣秀吉(1537~98年)が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲や鴨川氾濫に備え、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして、総延長22.5㎞にも及ぶ土塁(土手)や堀『御土居』を築造。市内には現在でも御土居跡の見られる場所がいくつかあり、その中でもこちらは鴨川沿いの御土居跡。

この御土居内側の最寄りには、かつての京都新城・北政所寧々邸があり、以前京都御所の発掘調査でもそれが明らかになっています。さらにここから北上した場所には、『源氏物語』の作者として知られる紫式部の邸宅址『廬山寺』があり、御土居跡の一部、土塁が墓地に残り、今も見ることができます。

それに比べこの場所は、特に地面に目立った高低差があるわけでもなく割とフラットなので、ここに御土居があったことを想像できませんが、他の御土居跡では未だ土塁の一部が現代の町並みに溶け込みつつも不思議な印象を与え、その存在感を発揮しています。

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さらにもう一つの史跡。
2013年放映のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも注目された、主人公・八重とその兄・山本覚馬の京都時代の邸宅跡。

会津藩士・山本覚馬(1828~92年)は、京都守護職となった藩主松平容保にしたがって上洛し、京都に移り住む。鳥羽・伏見の戦いにより入牢したが、小松帯刀に見いだされ京都府勧業掛として、京都府権大参事(後に知事)槇村正直による近代化策を推進。

覚馬は明治8年(1875年)にはこの地に住んでいたことを確認でき、さらに兄を頼り妹・八重(1845~1932年)も同居していたと記録に残っている。八重は同志社の創立者・新島襄の妻となり、のちの同志社大学への発展につながる。
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これらの建立は特定非営利活動法人・京都歴史地理同考会によるもの。

この周辺は数々の史跡が重層する場所で、もしかしたら渋滞気味なくらいに史跡の宝庫とも言える場所かもしれません(笑)普段通りかかる折には意識することがなかったのですが、偶然にも落ち椿がそれを伝えていました。

基本情報

名称:御土居跡 山本覚馬・八重邸宅跡
場所:京都市中京区河原町通御池南西角
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