青蓮院から山を登った頂上に位置する「青蓮院青龍殿」。美しい庭園からなる青龍殿は、平成26年10月完成と比較的新しいものの移築で建物は歴史があり国宝も安置。そして京都市内を一望できる大舞台や現在展示のガラスの茶室まで…見どころいっぱいのこちらをご紹介いたします。
大正2(1915)年、明治天皇大喪使総裁、大正天皇即位大礼使総裁の伏見宮貞愛親王殿下より令旨を賜り、大正天皇の即位を記念して、大日本武徳会が中心となり、京都府民から浄財を募り、「大日本武徳会京都支部武徳殿」として京都北野天満宮前に建立されました。
武徳殿は一見純和風に見えて、屋根を支える小屋組みと建物を支える基礎は外来の技術が用いられており、「和洋折衷」という大正時代建築の特徴を示す木造大建造物で、いずれ重要文化財指定の可能性も充分にある価値の高い建物です。
その後、昭和22(1947)年、京都府に移管され、「平安道場」として警察の柔道剣道の道場となりましたが、
平成10(1999)年、京都府は、雨漏りの手当が遅れ、修繕に多額の維持管理費用がかさむことから平安道場を閉鎖し、解体処分とすることにしました。
平成21年、青蓮院が「青龍殿」として京都東山山頂将軍塚に移築再建することを決定し、平成26年10月に完成いたしました。
青龍殿には清水寺の舞台の4.6倍の広さ(延面積:1046㎡)の木造大舞台を新設。眼下に京都市内が一望でき、西展望台からは京都市内のみならず、大阪のビルまで遠望できます。
この「ガラスの茶室」を手がけたデザイナー吉岡徳仁氏は、SWAROVSKIをはじめ、HermèsやBMW、CartierやLEXUSなどの有名ブランドのプロジェクトも手がけています。「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれているので、実力は折り紙付きですね。
ガラスの茶室は、その日の天候や見る時間帯、季節により表情を変えてくれます。茶室はガラスとステンレスミラーのみで構成されており、ステンレスミラーのフレームは、光を反射しガラスと同じように透明に見えてきます。茶室はガラスなので、どの角度からも見ても自然が映り込むデザインなんですよ。
元来、茶道は閉じられた小宇宙という空間の中で生み出されました。
この光庵は、茶道の文化の延長線上にある茶室ではなく、なぜこのような日本人が持つ特有の文化が生み出されたのかという根源を問うものです。
この空間には、伝統的な茶室にとって重要な要素である、掛け軸や、花、畳はありません。
床には、ガラスの塊によって、水が造り出す美しい波紋を連想させるような煌めきが広がり、また、ある時間になると天井からは太陽の光とプリズムによって七色の虹色が現れ、光の花となります。
その小宇宙的な茶室という空間から、自然と共に生み出される時間を知覚化することで、物質的なものから解放され、自然と一体化することで、感覚の中に存在する日本文化の本質を見ることを考えました。
今回作品が展示される、京都の将軍塚青龍殿には、日本三大不動の1つに数えられる国宝 青不動明王が奉納されており、標高220 メートルの大舞台が建設され、京都市街を一望することができます。
またここは延暦13 年(794 年) に桓武天皇が訪れ、京都盆地を見おろしながら、京都こそが都の場所にふさわしいと確信し、それをきっかけに都の建設に着手したという、日本の文化を象徴する京の都がはじまった場所とも言われています。
この京都から世界へ、日本文化の原点を考える新しい体験をもたらすことができればと思っています。
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移築再建の技術も見ものとの事。
奥には国宝 青不動明王が安置されています(撮影禁止)。