時代に翻弄(ほんろう)された天主堂教会跡
教会寺院や宣教師・キリシタン信徒の居住区域が何カ所か設けられ、それらは「だいうす(ゼウス)」と称され、京都の古地図でも確認することができます。
ここ以外に四条堀川あたりにも、かつて同じような居住区域がありました。
ここ以外に四条堀川あたりにも、かつて同じような居住区域がありました。
その後、豊臣秀吉政権に移り変わり、宣教師追放令をしき弾圧。秀吉の死後、かつてのような布教活動と教会復興の許可を訴え、時の徳川政権下でその再興を果たし、この場所に新しい天主堂を復興。旧南蛮寺よりはるかに美しい建物といわれ、宣教師が常駐し、荘厳なミサが行われていました。
しかし慶長17年(1612)、徳川幕府はキリシタン大弾圧を開始し、天主堂は焼き払われ、その痕跡はこの駒札と石碑が物語るにとどまっています。復興から10年にも満たない、幻の天主堂だったとか。
時の政権に翻弄され、不遇の歴史をたどった幻の天主堂。かつて、ここがそんな激動の場所であったとは。皮肉にも、今のこの界隈の閑静な雰囲気からは想像もできないほどです。
時の政権に翻弄され、不遇の歴史をたどった幻の天主堂。かつて、ここがそんな激動の場所であったとは。皮肉にも、今のこの界隈の閑静な雰囲気からは想像もできないほどです。
基本情報
名称:此付近慶長天主堂跡
場所:上京区油小路通元誓願寺西南角
場所:上京区油小路通元誓願寺西南角
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