2020年9月11日 更新

【京都ぶらり】徳川幕府に焼き払われた幻の教会!流転の歴史をたどった史跡「此付近慶長天主堂跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、一条戻橋スグの場所にある、かつて江戸時代にあったキリスト教教会跡。

時代に翻弄(ほんろう)された天主堂教会跡

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上京区、油小路通と元誓願寺通が交差する閑静な住宅街。すぐ近くには堀川もある場所。
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そんな交差点角にある、マンションですかね。わりと新しい建物。その角の電柱の横。
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ちょっと見過ごしてしまいそうな、駒札と石碑。
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『此付近慶長天主堂跡』(このふきんけいちょうてんしゅどうあと)と書かれています。慶長9年(1604)頃に復興されたヤソ会(キリスト教)の天主堂教会があった場所。

京都でのキリスト教布教は織田信長政権下で本格化し、市内に南蛮寺もいくつか建てられました。ここと同じように石碑があり、今に伝えている場所も。
教会寺院や宣教師・キリシタン信徒の居住区域が何カ所か設けられ、それらは「だいうす(ゼウス)」と称され、京都の古地図でも確認することができます。

ここ以外に四条堀川あたりにも、かつて同じような居住区域がありました。
その後、豊臣秀吉政権に移り変わり、宣教師追放令をしき弾圧。秀吉の死後、かつてのような布教活動と教会復興の許可を訴え、時の徳川政権下でその再興を果たし、この場所に新しい天主堂を復興。旧南蛮寺よりはるかに美しい建物といわれ、宣教師が常駐し、荘厳なミサが行われていました。

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しかし慶長17年(1612)、徳川幕府はキリシタン大弾圧を開始し、天主堂は焼き払われ、その痕跡はこの駒札と石碑が物語るにとどまっています。復興から10年にも満たない、幻の天主堂だったとか。

時の政権に翻弄され、不遇の歴史をたどった幻の天主堂。かつて、ここがそんな激動の場所であったとは。皮肉にも、今のこの界隈の閑静な雰囲気からは想像もできないほどです。

基本情報

名称:此付近慶長天主堂跡
場所:上京区油小路通元誓願寺西南角
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