2020年6月1日 更新

【京都ぶらり】戦国武将・織田信長時代に建てられたキリスト教教会跡!南蛮文化発信地「南蛮寺跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は中京区、オフィス街にもほど近い場所にある史跡。かつて織田信長時代に建てられたキリスト教の教会跡地。

京都のキリスト教文化発信地

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中京区、蛸薬師室町通りをさらに西へ。この界隈には和装、呉服関係の会社が多く立ち並ぶ場所でもあり。そして、祇園祭の山鉾町でもあり、祭の際には大変ににぎやかな場所でもあり。
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その蛸薬師通り沿いにある、織物卸売会社前。ビル前には駐車場、駐輪場がありますが。
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その駐輪場の済にある石標。ちょっと自転車の影に隠れて見えづらいですが。

実はこちら、かつて織田信長の時代に耶蘇(やそ)会(イエズス会)よって建てられ、京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となった「南蛮寺」がこの北側にあったと言われています。
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戦国末期永禄2年(1559年)、京都でのキリスト教布教が本格化し、永禄4年(1561年)にこの付近に礼拝堂が設置。数々の迫害に遭いつつも、信長の加護の下信者は増加。天正4年(1576年)には古くなった礼拝堂を再建。ミサも行われ、信者の間では珊太満利亜(サンタマリア)上人の寺とも呼ばれていました。

しかし、豊臣秀吉の時代に入り、天正15年(1587年)には宣教師追放令が発令。キリスト教弾圧に転じ、南蛮寺も破壊され再建されることはありませんでした。

建物は木造瓦葺、3層楼閣風で木造瓦葺、3層楼閣風で、屋根は最上層が入母屋造、1、2層は寄棟造であったと伝えられています。

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この界隈には、かつて織田信長が常宿にしていた旧本能寺や嫡男・信忠が本能寺の変で最期をむかえた旧二条城にも近く、信長がいかにキリスト教へ傾倒していたかがわかる立地の史跡ですね。

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基本情報

名称:南蛮寺跡
住所:京都市中京区姥柳町202 和光 ビル
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