古い町並み残る住宅街路地裏にひっそり建つ石碑
天正15(1587)年、秀吉はすでにバテレン追放令を発布していましたが、南蛮貿易の実利を重視し、宣教師たちが日本で活動を続けることを黙認。文禄2(1593)年秀吉の招きで来日したフランシスコ会ペトロ・バプチスタ神父は妙満寺跡地を与えられ、ここを拠点に布教活動を開始。この界隈には200人以上のキリシタン信者が移り住んだと言われ、「だいうす(デウス)町」と呼ばれていました。
慶長元(1596)年、難破したスペイン船が土佐浦戸に入港したサン・フェリペ号事件後、秀吉はスペイン軍による日本侵略を恐れ、キリシタンの捕縛を命じ、再びキリシタン禁教令発令。京都・大阪の日本人信者らとともに神父を捕え、長崎に送り処刑。のちに彼ら26名は聖人に列せられ、今では長崎にはその記念館もあります。
すぐ近くには、その名残りとなる教会もあり、オフィス街のビルの谷間に隠れわかりづらい場所ですが、歴史的にみても重要なスポット。
慶長元(1596)年、難破したスペイン船が土佐浦戸に入港したサン・フェリペ号事件後、秀吉はスペイン軍による日本侵略を恐れ、キリシタンの捕縛を命じ、再びキリシタン禁教令発令。京都・大阪の日本人信者らとともに神父を捕え、長崎に送り処刑。のちに彼ら26名は聖人に列せられ、今では長崎にはその記念館もあります。
すぐ近くには、その名残りとなる教会もあり、オフィス街のビルの谷間に隠れわかりづらい場所ですが、歴史的にみても重要なスポット。
基本情報
名称:妙満寺跡 二十六聖人発祥之地
場所:京都市下京区 岩上通
場所:京都市下京区 岩上通
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