かつての京の七名水に数えらえた『芹根水』
木を挟んで北側。『芹根(せりね)水』と書かれた石碑があります。
室町時代、堀川通木津屋橋下るの堀川沿いに湧いた名水で、洛中七名水の一つに数えられていたとか。堀川と同水位だったため、川水が入らないように書家・松下烏石(1699~1779)が寄進した井筒で囲まれていたと伝わっています。
文人墨客、茶道家、商家一般に永く愛用されましたが、大正3年(1914)堀川改修の際濁水が混入し井筒も失われたと伝わっています。宝暦年間(1751~1764)に建立されたこの石碑のみが護岸中に残されていましたが、昭和57年(1982)の堀川暗渠工事の際、現在地に移設。『都名所図会』にも描かれ、京都の名所として知られていました。
室町時代、堀川通木津屋橋下るの堀川沿いに湧いた名水で、洛中七名水の一つに数えられていたとか。堀川と同水位だったため、川水が入らないように書家・松下烏石(1699~1779)が寄進した井筒で囲まれていたと伝わっています。
文人墨客、茶道家、商家一般に永く愛用されましたが、大正3年(1914)堀川改修の際濁水が混入し井筒も失われたと伝わっています。宝暦年間(1751~1764)に建立されたこの石碑のみが護岸中に残されていましたが、昭和57年(1982)の堀川暗渠工事の際、現在地に移設。『都名所図会』にも描かれ、京都の名所として知られていました。
さらに、その南隣。案内板には『文房四神之碑』とあります。
かつてこの界隈に居住していた唐様書家・松下烏石の建立した石碑。ちょっと目視しづらい状態になっていますが、南方・朱雀を筆、東方・青龍を硯、西方・白虎を紙、北方・玄武を墨と言った具合に筆硯紙墨(ひっけんしぼく)の文房具を四神になぞり、顕彰した銘(四字一句の韻文)が刻まれています。
この石碑は道祖神社(油小路通塩小路下る)の書聖天満宮に建立されていましたが、神社の改築に伴い、平成6年(1994)現在地に移設。
考えてみると、ここから少し西へ行った場所には清和源氏ゆかり神社『六孫王神社』があり、その境内にも都七名水の一つがあり、かつてこのあたり一帯は名水に恵まれた土地だったのかな、とも想像できたり。
かつてこの界隈に居住していた唐様書家・松下烏石の建立した石碑。ちょっと目視しづらい状態になっていますが、南方・朱雀を筆、東方・青龍を硯、西方・白虎を紙、北方・玄武を墨と言った具合に筆硯紙墨(ひっけんしぼく)の文房具を四神になぞり、顕彰した銘(四字一句の韻文)が刻まれています。
この石碑は道祖神社(油小路通塩小路下る)の書聖天満宮に建立されていましたが、神社の改築に伴い、平成6年(1994)現在地に移設。
考えてみると、ここから少し西へ行った場所には清和源氏ゆかり神社『六孫王神社』があり、その境内にも都七名水の一つがあり、かつてこのあたり一帯は名水に恵まれた土地だったのかな、とも想像できたり。
今では石碑だけがその名残りを伝えるのみですが、かつての様子が偲ばれますね。
基本情報
名称:芹根水
場所:京都市下京区木津屋橋通堀川西入下る東側
場所:京都市下京区木津屋橋通堀川西入下る東側
13 件