2022年12月21日 更新

【京都ツウ】織田信長築城の元祖二条城跡でもある史跡「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、御所西の平安女学院キャンパス内の史跡。かつての二条城や将軍邸のあった場所。

私立名門校のキャンパス内にある史跡

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上京区、京都御所、烏丸通を挟んで下立売あたり。
この界隈は私立名門校・平安女学院のあるエリア。通称・平女の中学、高校、大学がまとまって立地する場所。
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その傍らにある聖アグネス教会。
歴史的建造物としても貴重で、京都市指定有形文化財。設計は立教大学の初代校長J.M.ガーディナー。竣工は1898年の趣きあるレンガ造りの教会。
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そこから室町通へ。すると、校舎の一角に『旧二條城跡』と書かれた石碑があります。
二条城というと堀川通沿いにある徳川家康築城の二条城をすぐ思い浮かべますが、それより以前にこの地に二条城がありました。
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永禄12年(1569年)、織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の塀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築きました。急ごしらえにしては内装や作庭、城郭など豪華であったことが後の発掘調査から判明。

その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使用。そして室町幕府の滅亡に伴い廃城。旧二条城は解体され、安土城築城の際、建築資材として再利用されたとか。この旧二条城推定敷地図を見ると、かなり広大で、現在の京都御苑の敷地にもかかるほど。
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そして、さっきの石碑から少し南下した場所に、また違う石碑が。
今度は「斯波氏武衛陣・足利義輝邸 遺址」と書かれています。

織田信長よりさらに古い時代、武衛陣として室町幕府管領・斯波義将(1350~1410)の邸宅のあった場所。応仁の乱により焼失しましたが、天文16年(1547年)に室町幕府第13代将軍・足利義輝(1536~65)の館が築かれました。
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永禄8年(1565年)、三好義継らに襲撃され義輝は切腹し、邸宅も兵火により焼失。義輝の弟・義昭が織田信長の武力を後ろ盾に上洛し、将軍就任。そして、さらなる三好軍の襲撃に遭いましたが、この時は京都にいた信長軍とともに、三好軍を撃退。

つまりは、このエリアにおいて200年ほどの間、激動の歴史が展開していたことがわかります。
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今となっては、そんな戦国時代の拠点とも言える場所であったことは微塵も感じられず、ただ平和で静かに校舎のみが存在する場所。歴史の重層感がハンパないエリアですね。

詳細情報

名称:斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址
場所:京都市上京区五町目町172
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