2019年9月18日 更新

【京都史跡めぐり】戦国武将・織田信長が築城した元祖二条城!御所西すぐの場所☆「旧二条城跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は京都御所西、平安女学院大学にある史跡。戦国武将・織田信長が築城した元祖二条城の城跡。

平女エリアにある旧二条城跡

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京都御所、烏丸通を挟んで下立売あたり。
この界隈は平安女学院エリア。地元民の間では平安女学院のことを略して「平女」と呼んでいますが、平女の中学、高校、大学がまとまって立地。
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こちらは以前にも取材したことがある、聖アグネス教会。
京都市指定有形文化財。設計は立教大学の初代校長J.M.ガーディナー。竣工は1898年の趣きあるレンガ造りの教会。
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室町通を挟んで、東側が中学、高校の校舎。そして、西側が大学の校舎になります。
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通り角にはこんな平女の広報センターがあるんですね(笑)
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で、大学校舎角。石碑があります。
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こちらは『旧二条城跡』とあります。
現在堀川通沿いにある徳川家康築城の二条城以外にもう一つ二条城がここに存在したということですね。
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永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の塀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。後の発掘調査から、急ごしらえにしては内装や作庭、城郭など豪華であったことが推測。

その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使用。室町幕府の滅亡に伴い廃城。旧二条城は解体され、安土城築城の際、建築資材として再利用されたんだとか。この旧二条城推定敷地図を見ると、かなり広大で、現在の京都御苑の敷地にもかかるほど。

今となってはその痕跡もほとんどありませんが、かつての様子に思いを馳せながら散策したいですね。

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基本情報

名称:旧二条城跡碑
住所:京都市上京区五町目町
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