平女エリアにある旧二条城跡
永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の塀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。後の発掘調査から、急ごしらえにしては内装や作庭、城郭など豪華であったことが推測。
その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使用。室町幕府の滅亡に伴い廃城。旧二条城は解体され、安土城築城の際、建築資材として再利用されたんだとか。この旧二条城推定敷地図を見ると、かなり広大で、現在の京都御苑の敷地にもかかるほど。
今となってはその痕跡もほとんどありませんが、かつての様子に思いを馳せながら散策したいですね。
その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使用。室町幕府の滅亡に伴い廃城。旧二条城は解体され、安土城築城の際、建築資材として再利用されたんだとか。この旧二条城推定敷地図を見ると、かなり広大で、現在の京都御苑の敷地にもかかるほど。
今となってはその痕跡もほとんどありませんが、かつての様子に思いを馳せながら散策したいですね。
旧二条城跡へのツイート
旧二条城の移築石垣@京都御苑 pic.twitter.com/KVJgYTUFUc
— 若狭守の武者 (@tatibana_ason) September 18, 2019
基本情報
名称:旧二条城跡碑
住所:京都市上京区五町目町
住所:京都市上京区五町目町
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この界隈は平安女学院エリア。地元民の間では平安女学院のことを略して「平女」と呼んでいますが、平女の中学、高校、大学がまとまって立地。