2021年4月5日 更新

【京都ぶらり】知る人ぞ知る京都御所に残る時代を語る石たち「旧二条城の石垣」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、市内の中心に位置する京都御苑。その中にある、旧二条城時代の復元石垣。

新旧の石垣が楽しめる京都御苑

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上京区、古都・京都の中心に位置し、そのシンボル的存在でもある「京都御苑」。地下鉄でもアクセスでき、街中にもかかわらず四季折々で自然を満喫できる市民憩いの場。

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今回は烏丸通を上がった下立売御門から中へ。
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この時期の季節の花を愛でようとやってきました。こちらは3月下旬の様子ですが、ユキヤナギが旺盛に咲き誇っていました。
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さらに北上し、今出川通り寄りにある近衛邸跡の枝垂桜。この時で散り始めでしたが、まだまだ見頃で多くの方が撮影に来られていました。
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そんな中、来る途中にある御苑外周の石垣。こちらは丸太町通沿い。生えている古木に合わせて石垣が組まれていて、こんな具合に歩道にもっこりと突き出している石垣部分もあるわけですが。

で、よくよく見ると、何やら緑色のテープ。
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石垣を構成する石一つ一つに番号が振られています。
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かなり珍しい光景で、道行く人も思わず記念撮影されていたり。

御所の守衛の方に聞くと、現在工事中のため、何かしらの配慮として、こうして番号が振られ、その詳細は守衛にもわからないとのこと。崩してから後で組み立てる、とかでもないとのことでしたが。

あまり今まで、まじまじと外周の石垣を見たことがありませんでしたが、こうして見るとそこそこ古そうな石ではありながら、きれいに平面上に組まれています。
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中には、こんな人口的な四角い穴の開いた石もあり、何かの目的で使われていた石を再生利用されてるようなものも。このタイプの石を何個か見かけました。

地質マニアからすると、興味深い石も数々あるようです。
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そんな中、下立売御門から少し下がった場所にある榎木口。
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ちょうど、烏丸通り外周の石垣の真裏。
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先ほどまでの外周石垣よりかなり天然石に近い形の、あまり加工やカットのされていない様子の石垣が枯葉に覆われつつ姿を現しています。
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じつは、こちらの石垣はかつてこの辺りに存在した旧二条城のもの。
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この場所から、烏丸通を挟んだ向かいにある平安女学院の校舎。
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その隅に建つ、『旧二条城跡』と書かれた石碑。

二条城というと、現在堀川通沿いにある徳川家康築城のお城を想像しますが、それより以前この場所に旧二条城が存在しました。
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永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の塀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築きました。後の発掘調査から、急ごしらえにしては内装や作庭、城郭など豪華であったと伝わるお城。

その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使用。室町幕府の滅亡に伴い廃城。旧二条城は解体され、安土城築城の際、建築資材として再利用されたものもあったとか。この旧二条城推定敷地図を見ると、かなり広大で、現在の京都御苑の敷地にもかかるほど。
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この石垣は、地下鉄建設の際、烏丸下立売から発見されたもので、当時は東西方向に組まれていたそうですが、こちらに南北方向に移設し復元されたんだとか。
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その石の中には、石仏、板碑、礎石なども含まれているとか。

そんな古い歴史を重ねた石垣であることを思いながら、一つ一つの石を見ると、また違った発見があるかもしれませんね。

基本情報

名称:旧二条城の石垣(榎木口)
場所:京都市上京区京都御苑10

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