2021年9月23日 更新

【京都ぶらり】御所東にある『京の七口』関所☆激動の歴史を重ねた名橋「荒神橋」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、御所東にある『京の七口』の一つとして知られる荒神口、鴨川に架かる橋。幾多の激動を重ねた橋。

近江(滋賀)に向かう街道へ続く歴史深い橋

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上京区、御所東エリアの河原町荒神口。

かつて平安京の時代に、日本全国から京へと続く街道のほとんどが整備されました。その後、豊臣秀吉によって外敵から京都を守るために設けられた大きな塀ともいえる土塁『御土居』。
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そこから洛中洛外という概念が生まれ関所設置。全国と京都を結ぶ全ての流通の拠点となり、庶民が行き交う道でもあった街道の出入口となった場所。その場所に今も地名として残る『口』。そんな『口』が市内には7つあり、俗に『京の七口』と言います。その一つがこちらの荒神口。
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京都御苑から荒神口通を東に約300メートル進んだ場所にある『荒神橋』。江戸時代、京の七口の関所的な橋として、当時は簡単な仮橋が架けられていたそうです。その後、1867年大政奉還時、西本願寺・賀陽宮(かやのみや)朝彦親王の勧告により、帝の避難路として備え架けかえられ、別名「御幸橋」「勤王橋」とも呼ばれ、三条大橋や五条橋のような擬宝珠が付いた立派な高欄を備えた橋に。その後、1914年に現在の鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられ、1935年の洪水では多くの橋が流失した中、荒神橋はそれを免れました。

さらに、戦後においては1953年におこった学生運動で、橋上に大学生約100人と警官隊が衝突。大学生十数人が木製の欄干とともに落下して重軽傷を負った「荒神橋事件」。

個人的な思い出としては、部活で鴨川沿いを走る時のスタート地点がここ荒神橋。その時、ちょうど近くにある京都府立医大の食堂の方が鴨川にいるユリカモメに残飯であるパン耳を与える時間帯で、さながらヒッチコック映画『鳥』のような光景で、さらに頭上からよくフンを落とされた記憶のある場所(笑)
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橋のすぐ上流には飛び石もあり、途中亀石になっていて、多くの方がよく水遊びの合間にここを通られたり。飛び石はここ以外に鴨川デルタ周辺にもありますが、川幅を考えると飛び石としてはこちらのほうが長いような印象。あと、途中の亀石の数も多いですね。
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つい最近まで工事していましたが、ここ荒神橋は歩道と車道がそれぞれ片側で独立するように。
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親柱。大正3年(1914年)に木造だった欄干をコンクリートに変えた時期のものですね。
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旧仮名遣い『くわうじん』と書かれ、時代を感じます。
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荒神橋からさらに東方面へは滋賀へ抜ける街道・志賀越え(山中越え)に続きます。
かつては荷車も通り、往来の激しかった橋と伝わっています。かつての様子が偲ばれますね。

基本情報

名称:荒神橋
場所:京都市左京区吉田下阿達町~上京区亀屋町
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