2018年7月9日 更新

【京都ぶらり散策】京都と日本全国を結ぶ街道の出入口!今も名残りを見せる☆「京の七口」

古い京の街並みの手がかりとして、今もその片鱗を見せる『京の七口』。日本全国と京都をつなぐ街道の出入口となった七つの場所。現代と昔をつなぐ場所でもあり、時空を超えた面白さを感じる場所。ぶらり散策してみました。

『京の七口』とは?

壮大な都市計画の下、日本全国から京へと続く街道のほとんどが平安京の時代に整備されました。その後、豊臣秀吉によって外敵から京都を守るために設けられた大きな塀ともいえる『御土居』。
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そこから洛中洛外という概念が生まれ関所設置。全国と京都を結ぶ全ての流通の拠点となり、庶民が行き交う道でもあった街道の出入口となった場所。その場所に今も地名として残る『口』。

そんな『口』を求めて、市内の史跡をぶらり散策。

鞍馬口

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若狭から広河原・花背を経て鞍馬に至る鞍馬街道の出入口。物流の要でもあり、参道でもあり、通行人からかつては関を設け、関銭を徴収していた場所。

大原口

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上京区今出川通寺町付近。山中越から比叡山や近江国・若狭国へ通じる起点。若狭街道の出入口にあたり交通の要所でもあった場所。今でも町名として残る地域も。

荒神口

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鴨川の西岸、琵琶湖と京をつなぐ山中越の出入口。かつては吉田口・今道口。志賀道口とも呼ばれ、1600年(慶長5)に三宝荒神をまつる清荒神(護浄院)が高辻堀川から移転。そのお寺由来の名前が地名として残る。

本文と関係ないのですが、鴨川を走る集団がいました。これがホントの鴨川マラソン(笑)

粟田口(三条口)

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三条大橋の東側。東海道・東山道・北陸道の終着点でもあり、三条大橋西側にかつての御土居が設置。東山道・東海道を行き来する旅人の安全祈願の場所となった粟田神社もあり、今も地名として残る。

伏見口(五条口)

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五条大橋西側の御土居から観月橋や深草を経て伏見城につづく伏見街道。言わば、豊臣秀吉にまつわる史跡が数多く残る、秀吉街道とも言えるルートの出入口。地名として残っていませんが、秀吉の影響力が色濃く感じられる場所でもあり。

竹田口(八条口)

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御土居の出入口がかつて東洞院通八条上がったあたりにあり、そこから竹田街道が伸びて伏見港へ。京都の中心から伏見、さらには奈良街道や大坂街道へとつながり、物流の基幹道ともなった場所。今でも京都駅にはその地名を残し、昔も今も京都の玄関口としてその役割を果たす場所。

東寺口(鳥羽口)

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古くは平安京の玄関口でもあり、羅城門が存在した場所。さらに、山崎、西宮を経て西に続く西国街道、鳥羽を経て淀に至る鳥羽街道がのび、九条通千本東入るにかつての御土居出入口が設置。今でも羅城門の石碑があり、それが公園内にあるという、ちょっと今昔ミックスされた場所(笑)

丹波口

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七条大路の西端の街道を経て、亀岡、丹波に続く山陰街道に続く、現在の中央卸売市場があるあたりの千本通七条上るにあった御土居の出入口。地名としては、JR山陰嵯峨野線の駅名として残る。かつての花街だった島原からも、華やかだった時代を思わせる。

長坂口

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かつての周山、さらには若狭へと向かう道であった長坂越。その出入口となった御土居が現在の北区鷹峯旧土居町となる。今でも御土居の一部が残り、実際当時の様子が感じられる場所。
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『京の七口』をたどることで、かつて洛中を取り囲んだ御土居をイメージしたり、当時の様子に思いを馳せたり。そんなことを考えながらぐるっと七口めぐりをすると、面白いですね。
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