『京の七口』とは?
壮大な都市計画の下、日本全国から京へと続く街道のほとんどが平安京の時代に整備されました。その後、豊臣秀吉によって外敵から京都を守るために設けられた大きな塀ともいえる『御土居』。
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そこから洛中洛外という概念が生まれ関所設置。全国と京都を結ぶ全ての流通の拠点となり、庶民が行き交う道でもあった街道の出入口となった場所。その場所に今も地名として残る『口』。
そんな『口』を求めて、市内の史跡をぶらり散策。
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そこから洛中洛外という概念が生まれ関所設置。全国と京都を結ぶ全ての流通の拠点となり、庶民が行き交う道でもあった街道の出入口となった場所。その場所に今も地名として残る『口』。
そんな『口』を求めて、市内の史跡をぶらり散策。
鞍馬口
大原口
荒神口
粟田口(三条口)
伏見口(五条口)
竹田口(八条口)
東寺口(鳥羽口)
丹波口
長坂口
かつての周山、さらには若狭へと向かう道であった長坂越。その出入口となった御土居が現在の北区鷹峯旧土居町となる。今でも御土居の一部が残り、実際当時の様子が感じられる場所。
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『京の七口』をたどることで、かつて洛中を取り囲んだ御土居をイメージしたり、当時の様子に思いを馳せたり。そんなことを考えながらぐるっと七口めぐりをすると、面白いですね。
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『京の七口』をたどることで、かつて洛中を取り囲んだ御土居をイメージしたり、当時の様子に思いを馳せたり。そんなことを考えながらぐるっと七口めぐりをすると、面白いですね。
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