196年ぶりに復帰した「鷹山」
この鷹山は応仁の乱(1467年〜1477年)以前から巡行していた、由緒ある山鉾。
室町幕府以前からということで、その歴史の深さが伺えます。
そして時代を経て江戸時代後期には、黒漆塗りで破風裏は金という、豪華絢爛な屋根を有する曳山となっていました。
室町幕府以前からということで、その歴史の深さが伺えます。
そして時代を経て江戸時代後期には、黒漆塗りで破風裏は金という、豪華絢爛な屋根を有する曳山となっていました。
そんな鷹山ですが1826年の巡行で大雨にあい、懸装品を汚損したことを理由に翌年以降は休山となってしまいます。
そして1864年に京都御所を中心に起こった「禁門の変」による大火にて、御神体と鉦以外を消失してしまいます。
このように1826年の大雨以降、2022年にようやく復帰するという歴史があるのです。
196年前といえば、まだペリーの黒船来航以前。
幕末に京都で活躍した歴史上の人物も、見たことのない光景が今年の祇園祭では見られるのです!
感慨深い!
そして1864年に京都御所を中心に起こった「禁門の変」による大火にて、御神体と鉦以外を消失してしまいます。
このように1826年の大雨以降、2022年にようやく復帰するという歴史があるのです。
196年前といえば、まだペリーの黒船来航以前。
幕末に京都で活躍した歴史上の人物も、見たことのない光景が今年の祇園祭では見られるのです!
感慨深い!
公益財団法人の鷹山保存会の活動により、今回の復興が実現したようです。
注目の的になってました!
やはり他の山鉾以上に人が集まっていました。
多くの方が写真を撮影されており、その注目度と人気が伺えます。
多くの方が写真を撮影されており、その注目度と人気が伺えます。
木材の新しさと同時に、これまでの歴史を感じさせます。
近くに寄ってみると思った以上に高い。
上の木まで17mあるということで、かなりの存在感がありますね。
上の木まで17mあるということで、かなりの存在感がありますね。
胴懸(どうがけ)はイランで織られた豪華なペルシャ絨毯。
イランの遊牧民族であるカシュガイ族がデザインしたそうで、
聖なる花とされる蓮(はす)の花や、子孫繁栄を象徴するザクロが表現されています。
イランの遊牧民族であるカシュガイ族がデザインしたそうで、
聖なる花とされる蓮(はす)の花や、子孫繁栄を象徴するザクロが表現されています。
木の上には鷹を天敵とする「きじ」を装飾しています。
見ていると歴史的な瞬間に立ち会えたような、そんな感慨深い気分になりました。
売店や写真展も多くの人で溢れかえっていました
訪れた日時が後祭の宵山だったということで、粽(ちまき)や記念御朱印は残念ながら売り切れていました…
紙で作られたかわいらしい立体の模型も。
鷹山の復興までを記録した写真展もありました。
京都を拠点に活動されている写真家・大道雪代さんが、6年間に渡り復活までの歩みを撮影。
見ごたえのある内容で多くの人が訪れていました。
京都を拠点に活動されている写真家・大道雪代さんが、6年間に渡り復活までの歩みを撮影。
見ごたえのある内容で多くの人が訪れていました。
リアルタイムで更新されていくパネル展示が。
これから新たな歴史を刻んでいく鷹山に期待ですね!
これから新たな歴史を刻んでいく鷹山に期待ですね!
鷹山までのアクセス
鷹山は三条室町を西に入った場所に建てられます。
住所:京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町
今年は見られなかったという方も、ぜひ来年は復興した鷹山の姿をその目で見てみてください!
住所:京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町
今年は見られなかったという方も、ぜひ来年は復興した鷹山の姿をその目で見てみてください!
公益財団法人 鷹山保存会
公益財団法人鷹山保存会の公式ホームページです。鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒ある山鉾で、「くじ取らず」の大きな曳山でしたが、文政9年(1826)の巡行で大雨に遭い懸装品を汚損したことを理由に巡行に参加しなくなりました。それから現在まで190年もの間、御神体をお飾りする居祭を続けてきました。祇園祭の最後の曳山、鷹山の復興にご協力ください。
鷹山の歩み
歴史研究家の廣田長三郎氏が執筆された、「鷹山の歩み」が鷹山保存会のHPで公開されています。
興味のある方はぜひご覧ください。
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