2020年7月18日 更新

【京都お寺めぐり】豊臣秀吉・伏見城の牢獄門『百叩きの門』必見!不思議伝説残る「慈眼山観音寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、七本松通出水下った場所にあるお寺。豊臣秀吉築城の伏見城の牢獄門、通称『百叩きの門』が山門であるとか。

伏見城の遺構・牢獄門『百叩き門』は必見

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上京区、千本通から出水通を西へ。この界隈にはお寺が結構集中し、閑静な場所。

そして、さらに西へ進み七本松通り沿いまでくると、通り沿いにお寺が並び、その一つ。

浄土宗のお寺。 慶長12年(1607)、梅林和尚が一条室町に創建。その後天明の京都大火により焼失。そのため、お寺の来歴詳細は不明。
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それゆえ、焼失後現在地にいつ頃移転されたかなど不明。ただ山門は伏見城の遺構と伝えられ、今も見ることができます。
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見るからに、かなりの年数を経たことがわかる山門扉。クスノキの一枚板から出来ていて、かつて伏見城の牢獄門として使用されていたとか。

豊臣秀吉の隠居城として建てられた伏見城は徳川家康時代に入り再建されるも、元和9年(1623)に廃城。城の解体後、各地の築城や寺社建築に流用され、この牢獄門もどういう経緯か、こちらへ。
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当時の罪人は釈放される際、この門前で“百叩き”の刑罰を受けてから解き放たれたことから、通称『百叩きの門』。そして、そんな山門ゆえの伝説もあり。

夜門前を通ると人が泣くような声が聞こえ、門前で処罰された罪人の恨みからくるものではないかと。そして、それがもとでこの辺りの人通りが絶えてしまったとか。

心配した住職が調べると、門に造られた潜り戸が風のせいで自然に開閉され、その際の音が泣き声のように聞えたとか。それを受けて潜り戸を釘で打ちつけ、さらに100日間の念仏供養をしたところ、ピタリと収まったとか。
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境内。
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さらに北側奥には運慶の弟子の安阿弥作と伝わるご本尊・聖観世音菩薩が祀られる千人堂(観音堂)。

もとは堀川一条にあり、1390年に疫癘(えきれい)の時、死屍を捨てるものが多く、山名重氏が鎮疫を祈念し、霊験により死屍を蘇生させたと伝えられています。

また、延喜18年(918年)に亡くなった三善清行の葬送の時、子の浄蔵が仏神に祈って蘇生させたと伝わる、『一条戻り橋』。それを機に観音信仰が流行し、観音堂に多くの信者が集ったことから『千人堂』と呼ばれるようになったとか。

これらの不思議伝説から、『出水の七不思議』にも数えられるお寺。ちょっと怖くもある伝説ですね。

基本情報

名称:慈眼山観音寺
場所:京都市上京区 七本松出水下三番280
電話番号:075-841-7096
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