縁切り祈願でおなじみの神社
そして、境内中ほどにある本殿。主祭神には崇徳天皇、大物主神、源頼政の三柱神を祀る。
神社の来歴は、天智天皇(668~671年)に藤原鎌足が仏堂を建立し、藤原家一門の繁栄を祈願、藤を植樹して藤寺と号したのがはじまり。
そして崇徳天皇(1119~1164年)との所縁深く、藤寺の藤を愛し寵愛した阿波内侍を住まわせたり。その後、保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐国へ流刑に。
崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂にたびたび怨霊があらわれたことから、建治年間(1275~1277年)後白河法皇により光明院観勝寺が建立。さらに江戸時代太秦安井にあった蓮華光院の讃岐金比羅宮より勧請した金毘羅権を合祀。
さらに源頼政が合祀されたのは、打倒平家に燃え頼政に補佐されて挙兵した高倉宮以仁王の遺児が蓮華光院の初代道尊僧正であったためと考えられています。
その後、荒廃や大火も経て明治維新の神仏分離で安井神社に改組され、併せて祭神の金毘羅権現は大物主神に改め、第二次世界大戦後には「安井金比羅宮」と改名され現在に至る。
神社の来歴は、天智天皇(668~671年)に藤原鎌足が仏堂を建立し、藤原家一門の繁栄を祈願、藤を植樹して藤寺と号したのがはじまり。
そして崇徳天皇(1119~1164年)との所縁深く、藤寺の藤を愛し寵愛した阿波内侍を住まわせたり。その後、保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐国へ流刑に。
崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂にたびたび怨霊があらわれたことから、建治年間(1275~1277年)後白河法皇により光明院観勝寺が建立。さらに江戸時代太秦安井にあった蓮華光院の讃岐金比羅宮より勧請した金毘羅権を合祀。
さらに源頼政が合祀されたのは、打倒平家に燃え頼政に補佐されて挙兵した高倉宮以仁王の遺児が蓮華光院の初代道尊僧正であったためと考えられています。
その後、荒廃や大火も経て明治維新の神仏分離で安井神社に改組され、併せて祭神の金毘羅権現は大物主神に改め、第二次世界大戦後には「安井金比羅宮」と改名され現在に至る。
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