2019年8月28日 更新

【神社仏閣めぐり】京都にもあった!晒し首になった平将門の霊を供養する地☆膏薬辻子「京都神田明神」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は四条通から綾小路通まで通り抜ける細い通り・膏薬辻子(こうやくのずし)にある平将門の怨霊を供養する首塚。

平安時代中期の関東の豪族・平将門の霊を供養する神社

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四条通から綾小路通まで、まっすぐではなく途中折れ曲がりつつ走る細道・膏薬辻子(こうやくのずし)。明治2年(1869年)には新釜座町と命名されましたが、それまでは地名にもなっていた道。

そして、祇園祭期間は郭巨山の御神所にもなる場所。
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その四条寄りにある、わりと真新しい小さな鳥居。
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入り口が鳥居になっていて、京町家と一体化。
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そして、駒札をみると『京都神田明神』とあります。
神田明神というと、つい東京の神社を思いうかべてしまいますが、京都にもあります。

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神田明神は正式名称「神田神社」。東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社。大己貴命、少彦名命、平将門命の3柱を主祭神とし、天平2年(730年)創建。

その神社の京都版がなぜここにあるのか。
神田明神は平安時代中期の関東の豪族であり、桓武天皇の5世子孫である平将門の霊を供養する神社。

天慶3年(940年)、天慶の乱により戦死した平将門の首は平安京に運ばれ東の市、都大路で晒し首となったが、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれ、その場所がここに。
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現在の六波羅蜜寺(西光寺)を活動拠点とした空也上人が、将門の怨霊を鎮めるため、道場の一角に塚を建てて供養したことから空也供養の道場と呼ばれ、空也供養の発音がなまり、細い道を意味する辻子と合わせて、この場所を『膏薬辻子(こうやくのずし)』と呼ぶように。

京都に神田明神があったとは、ちょっと驚きですね。

京都神田明神へのツイート

基本情報

名称:京都 神田明神
住所:京都市下京区新釜座町726
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