2022年1月11日 更新

やんどこなき人々の隠棲の地・斎宮の居た処、奥嵯峨から地獄の出口釈迦堂までを歩く 【昭和男子の京都時空紀行】

 お土産屋さんやスイーツ店、にぎやかな嵐山の遊歩道から一たび奥嵯峨へ入るとそこには、幽玄の世界が広がっています。2022年元旦の雪の日と晴れあがった7日、二日間に亘ってかつてやんごとなき人たちも隠棲したという歴史ロマンあふれる地をゆったりと散策してみました。

らんでんで奥嵯峨へ

通称 らんでんと呼ばれる京福電鉄嵐山本線

通称 らんでんと呼ばれる京福電鉄嵐山本線

 嵐山本線は、京都市下京区の四条大宮駅から右京区の嵐山駅までを結ぶ京福電気鉄道の軌道路線です。嵐山に行くならぜひ嵐電で。途中広隆寺や太秦といった太古の歴史を味わいながら、賑わう嵐山の真ん中に突っ込んでくれます!
溢れる芋ケンピ

溢れる芋ケンピ

 奥嵯峨の入り口には、人気の芋ケンピの店が。カップから溢れんばかり、いやすでに零れ落ちるほど盛られています。細くカリッとこれがまた美味しいんです!
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 奥嵯峨の入り口、かつて天皇の代替わりの際、伊勢神宮へ遣わされた斎宮が3年間禊(みそぎ)を行ったという野宮神社で初詣。斎宮が過ごす野宮は黒木(皮のついたままの木材)で造られ、このため黒木の鳥居が野宮の象徴とされています。縁結びの神として有名です。
斎宮行列の様子

斎宮行列の様子

 平安時代から南北朝時代あたりまで、天皇の代替わりの際、未婚の内親王または女王から候補者を選び、亀の甲を火で焙って出来たひびで占う卜占により新たな斎宮が決められました。新斎宮が決定すると、伊勢神宮にも奉幣使が遣わされて、斎宮はただちに潔斎に入りました。
竹林の小径

竹林の小径

 すぐ近くには竹林の小径があります。2021年12月におこなわれた嵐山花灯路は17年間の歴史に幕を閉じましたね!
元旦の落柿舎前

元旦の落柿舎前

 嵯峨野にある草庵落柿舎は、松尾芭蕉の弟子だった向井去来の別荘だった場所。その名は「庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちた」という逸話に基づきます。また、この光景はテレビドラマのロケ地としても有名です。その落柿舎も元旦は雪に埋もれました。
二尊院の総門

二尊院の総門

 二尊院の「総門」は、慶長十八年(一六一三)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものです。紅葉の名所として名高い二尊院は、千二百年の時を超えて美しい景観に包まれてきました。承和年間(八三四〜八四七)に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が建立していらい、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る珍しい寺院です。
元旦の清凉寺

元旦の清凉寺

 最後は嵯峨釈迦堂と呼ばれる清凉寺へ。ここの木造釈迦如来立像は、インド~中国~日本に伝わったことから「三国伝来の釈迦如来」と呼ばれます。生前の37歳の釈迦の姿を模写したと言われます。日本三如来の一つに数えられます。 
清凉寺の境内から

清凉寺の境内から

 ここ清凉寺は、平安時代に紫式部の「源氏物語」の主人公で光源氏のモデルとされる嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘であった「栖霞観(せいかかん)」があったところでもあります。境内から見渡せる愛宕山を中国の五台山に見立てて建立されていると云われます。
清凉寺の境内には地獄からの出口があった?

清凉寺の境内には地獄からの出口があった?

 実はこの清凉寺の境内にはかつて、平安時代前期の政治家・学者・歌人であった小野篁が昼間は朝廷に仕え、夜間は東山区の六道珍皇寺の井戸を入口として冥界へ行き、閻魔大王の左陪席として亡者の裁判を担当し、朝になるとこの地の福生寺にあった井戸を出口としてこの世へ戻っていたという伝説があります。清凉寺の境内塔頭の嵯峨薬師寺には生六道地蔵尊と小野篁像が安置されています。
 それにしても京の東南から西北まで大ワープですね。幽玄の世界でありパワースポットでもある奥嵯峨に一度は訪れてみてください。
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Sinosino Sinosino