文化ゾーンに平安時代存在した6つの『勝』
承暦元年(1077)に建てられ、左大臣藤原師実に寄進された白河天皇の御願寺『法勝寺』のあった場所で、六勝寺の筆頭寺院として最大の規模を誇り、南庭には高さ80mの巨大な八角九重塔があったことでも知られ、現在の京都市動物園の場所にあたります。
他、石碑は見当たりませんでしたが、創建は元永元年(1118)、鳥羽天皇の御願寺『最勝寺』。現在の岡崎グラウンド西側から京都会館までの規模の寺院。町名として残っています。
さらに、大治3年(1128)に建てられた、待賢門院(藤原璋子)の御願寺『円勝寺』六勝寺の中で唯一の女院御願寺。現在の京都市美術館に位置していたと推定。こちらも町名として残っています。
今ではそんな巨大寺院群があったとは思えないような景観ですが、石碑や地名だけがその存在を今に伝えています。かつての様子に思いをはせて、散策してみたいですね。
他、石碑は見当たりませんでしたが、創建は元永元年(1118)、鳥羽天皇の御願寺『最勝寺』。現在の岡崎グラウンド西側から京都会館までの規模の寺院。町名として残っています。
さらに、大治3年(1128)に建てられた、待賢門院(藤原璋子)の御願寺『円勝寺』六勝寺の中で唯一の女院御願寺。現在の京都市美術館に位置していたと推定。こちらも町名として残っています。
今ではそんな巨大寺院群があったとは思えないような景観ですが、石碑や地名だけがその存在を今に伝えています。かつての様子に思いをはせて、散策してみたいですね。
マップ
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そんな遊歩道には『六勝寺のこみち』と石碑に刻まれています。以前にもこの界隈にあるお寺を散策中に出くわし、かつて平安時代後期から室町時代まで存在したと伝わる『六勝寺』。今回はそれがどんなものだったかを深掘りすべく、この辺りを散策しました。
『六勝寺』はかつてこの界隈に存在した名称に『勝』のつく6つのお寺の総称で、現在のロームシアター京都(京都会館)あたりを中心に東西1.2㎞、南北1㎞以上の広大な敷地に造営された巨大寺院群。平安時代後期、院政の中枢として栄華を極めた場所でしたが、室町時代には衰退し応仁の乱で廃絶。そして、この界隈を歩くと、その史跡に出会えます。