季節の花・紫陽花&桔梗が咲き誇る穴場スポット
その後、豊臣秀吉の時代になり、寺は秀吉と対立。天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上。当時根来寺は2,700もの堂舎を誇る巨大寺院。塔頭であった智積院の住職玄宥は弟子たちを引き連れて寺を脱出し高野山に逃れ、再興の機会をうかがいつつも叶わず十数年が過ぎる。
その後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康により、東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を与えられ、智積院はようやく復興。さらに豊臣が滅び、隣接地にあった禅寺・祥雲寺の寺地も与えられてさらに規模を拡大。祥雲寺は秀吉が3歳で死去した愛児鶴松の菩提寺として建立したお寺で、現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿に飾られていたもの。
その後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康により、東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を与えられ、智積院はようやく復興。さらに豊臣が滅び、隣接地にあった禅寺・祥雲寺の寺地も与えられてさらに規模を拡大。祥雲寺は秀吉が3歳で死去した愛児鶴松の菩提寺として建立したお寺で、現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿に飾られていたもの。
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