2021年3月13日 更新

【京都お寺】知る人ぞ知る通称『賽(さい)の河原』で知られる西院立地「高山寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は右京区西院の繁華街の一角にたたずむお寺。通称『賽(さい)の河原』で知られ、地名ともかかわる。

古都の葬送地『西院』のお寺

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右京区西院交差点の北東角。西大路通と四条通が交差する繁華街にあって、以前から不思議な印象を持っていたお寺。なんと言いますか、商業施設が周辺多い中、ここだけ別次元の雰囲気があって。
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石標には『西院(さい)の河原 旧跡 高山寺』と書かれています。

京都で『高山寺』というと、高尾にある漫画の原型と言われる鳥獣戯画やフロイトより前から夢分析をしていたと伝わる明恵上人でおなじみの世界遺産・栂尾山高山寺を思い出しますが、こちらは全く関係ない浄土宗のお寺。
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平安時代、淳和天皇の離宮である南池院、のちの淳和院があった場所で、御所の西ということで『西院』と呼ばれるように。

淳和天皇没後は皇太后・正子内親王の仏道道場となり、皇太后没後遺言により尼寺となるも荒廃し焼失。

室町時代になると、将軍足利尊氏が近江堅田にあった地蔵尊を移し『高西寺』を建立。本堂に安置される御本尊・子安地蔵尊は洛陽六地蔵の一つに。


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桃山時代に入り、豊臣秀吉の都市改造計画の一つであった御土居造設にともない、もともと四条御前にあった高西寺はこちらへ移転。それに伴い寺名『高山寺』に改名。
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本堂の掲げられた額には「くろだにを はやたちいでて こうさんじ さいのかはらを みまもるみほとけ」と書かれたお寺の御詠歌。


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その本堂前。
ここに大きな石仏とともに、周辺におびただしい数の小さい石仏群。

小さいな石仏は御土居を崩す工事の際出土したもので、大きな石仏は御詠歌の『くろだに(現在の金戒光明寺)』にあったものを供養のため明治時代に移転。
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地名『西院』の由来としてもう一つ。これらの石仏ともかかわりがあるんですが。

平安時代、この辺りには佐比大路(現在の佐井通(春日通))があり、それに沿って佐井川が流れていました。

ここに『西院(さい)之河原』と書かれていますが、通称『賽(さい)の河原』。つまりあの世とこの世を隔てる三途の川という意味で、かつて佐井川は京都の葬送地の一つに数えられていました。

特に子供の葬送地として知られ、平安時代荒廃したこの辺りでは、子供が捨てられたり死骸が放置された場所とも言われています。当時、河原にあった石を積み上げ墓石に見立てたり、地蔵菩薩を彫って供養したと考えられ、それらが境内に集められたと考えらえています。
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そういったこともあるのか、子供にまつわる御本尊だったり、こちらは水子供養の地蔵尊も。
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寺門の脇にも石仏群。
現在のこの街の繁栄ぶりからは想像できないような、悲しい歴史を石仏が物語るお寺。ぜひお参りください。

詳細情報

名称:高山寺(賽の河原)
場所:京都市右京区西院高山寺町18
電話:075‐311‐1848
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