知る人ぞ知る山中に巨岩を祀るパワースポット神社
石段を登り、住宅街を抜けると石づくりの二ノ鳥居。神社の隣には保育園もあります。
仁徳天皇31年(343年)、裏山中腹にある2つの巨岩を「磐座」として祀ったのが神社の起源と言われ、奈良時代以前の信仰形態、自然崇拝の一つである『磐座信仰』の神社。寛平年間(889~897年)、巨岩の内、陰岩に栲幡千々姫命、陽岩に天忍穂耳命を祀り、岩前の小社に大宅氏(大宅地区)の祖神・饒速日命が祀られました。治承年間(1177~1180年)に園城寺僧徒によって社殿、旧記が焼失。その後、弘長2年(1262年)に再建し、現在に至ります。また、中世に東・西・上の『岩屋三社』と呼ばれ、東が当社、西が山科神社、上は不明ですが、それだけ山科では古い神社であることがわかります。
仁徳天皇31年(343年)、裏山中腹にある2つの巨岩を「磐座」として祀ったのが神社の起源と言われ、奈良時代以前の信仰形態、自然崇拝の一つである『磐座信仰』の神社。寛平年間(889~897年)、巨岩の内、陰岩に栲幡千々姫命、陽岩に天忍穂耳命を祀り、岩前の小社に大宅氏(大宅地区)の祖神・饒速日命が祀られました。治承年間(1177~1180年)に園城寺僧徒によって社殿、旧記が焼失。その後、弘長2年(1262年)に再建し、現在に至ります。また、中世に東・西・上の『岩屋三社』と呼ばれ、東が当社、西が山科神社、上は不明ですが、それだけ山科では古い神社であることがわかります。
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この神社の境内、山中に秘境的奥之院があり、そこに祀られる巨岩『陰陽岩』がある、というので、日頃の運動不足解消を兼ねてやってきました。参道はここから東の山に向かって伸びています。
そこから、名神高速のトンネルをくぐり、神社の南には京都橘大学があり、時折学生さんも通学で同じ道を通り、神社へはさらに直進。