地元民にもあまり知られていない歴史スポット
天正15年(1587年)に豊臣秀吉が発したバテレン追放令以降、キリシタン排除の流れにより、多くの信者がこの場所で囚われ、処刑されたと数々の資料に残されています。
江戸時代(1614年)キリシタン武士・ジョアン兵右衛門が、京橋近くの宇治川本流の河原で斬首。御香宮蔵「伏見市街地図(伏見図)」には『セイバイ場』とこの場所が記されていたり。さらには医学的発展の観点により遺体の解剖もこの地で行われたと、「京都の医学史」などの歴史書に記されています。
基本的に刑場址など、黒歴史的場所にはなかなか駒札が設置されたり観光ガイドなどに載らないことが大半。伏見にそんな場所があったとは、おそらく地元民でも知らない方多数の場所。
江戸時代(1614年)キリシタン武士・ジョアン兵右衛門が、京橋近くの宇治川本流の河原で斬首。御香宮蔵「伏見市街地図(伏見図)」には『セイバイ場』とこの場所が記されていたり。さらには医学的発展の観点により遺体の解剖もこの地で行われたと、「京都の医学史」などの歴史書に記されています。
基本的に刑場址など、黒歴史的場所にはなかなか駒札が設置されたり観光ガイドなどに載らないことが大半。伏見にそんな場所があったとは、おそらく地元民でも知らない方多数の場所。
伏水(伏見)刑場跡への口コミ
【資料館】 京都の刑場の歴史について書かれた本はないか: 『京都の監獄史』p56~69に西土手の処刑場、粟田口刑場、伏水刑場についての記載がある。
— 京都の図書館 (@Kyoto_lib) February 22, 2013
また、『京都刑死勤皇倒幕家列伝』p22に、西土手の処刑場についての記述がある。 http://t.co/zwKy0yAjoF
基本情報
名称:伏水(伏見)刑場跡
住所:京都市伏見区平戸町
住所:京都市伏見区平戸町
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近代では琵琶湖疏水の水を運び、戦後しばらく水運路としても活用され、伏見の暮しに欠かせない川でもあり、濠川から分岐する水路には伏見十石舟も行き来する観光スポットでもあり。