瀧尾神社拝殿の龍
瀧尾神社は、京阪本線・JR奈良線の「東福寺」駅からほど近くにある神社です。
南北に通る伏見街道に面していて普段は静かな境内ですが、辰年の今年は注目の龍を見てパワーをもらおうと参拝される方がたくさんいらっしゃいます。
南北に通る伏見街道に面していて普段は静かな境内ですが、辰年の今年は注目の龍を見てパワーをもらおうと参拝される方がたくさんいらっしゃいます。
伏見街道側にある石鳥居。石鳥居の向こうに見えているのが、例の龍がいる拝殿です。
ちなみに、伏見街道を南へ10分ほど歩くと東福寺、もっと南に行くと伏見稲荷大社。そしてこの伏見街道は、東福寺付近では本町通り、伏見稲荷大社よりも南では直違橋(すじかいばし)通りという呼び名に変わります。
ちなみに、伏見街道を南へ10分ほど歩くと東福寺、もっと南に行くと伏見稲荷大社。そしてこの伏見街道は、東福寺付近では本町通り、伏見稲荷大社よりも南では直違橋(すじかいばし)通りという呼び名に変わります。
石鳥居をくぐった左に社務所、その前に手水舎があります。手水舎には想像通りに龍が!
手と口を清めた後、さっそく拝殿へ。
通常は拝殿に上がることはできませんが、現在(2024年3月)は、期間限定で拝観ができます。
拝観料500円を納めて、拝殿内に入りました。
天井を見上げると、立派な龍がこちらを見ている!
手と口を清めた後、さっそく拝殿へ。
通常は拝殿に上がることはできませんが、現在(2024年3月)は、期間限定で拝観ができます。
拝観料500円を納めて、拝殿内に入りました。
天井を見上げると、立派な龍がこちらを見ている!
想像以上に大きい龍。龍のひげや鱗もとてもリアルで、手に持っている宝珠(?)の金色も鮮やかです。
全長が8mにもなるこの龍は、江戸時代後期に活躍した彫刻家・久山新太郎が手掛けたものと伝わっています。そのあまりにも生き生きとした龍の姿、近隣の住民が「龍が夜な夜な動き、水を飲みに行っている」と恐れ、龍が動かないように天井に金網を張ったという伝説まであるほどなのです。
全長が8mにもなるこの龍は、江戸時代後期に活躍した彫刻家・久山新太郎が手掛けたものと伝わっています。そのあまりにも生き生きとした龍の姿、近隣の住民が「龍が夜な夜な動き、水を飲みに行っている」と恐れ、龍が動かないように天井に金網を張ったという伝説まであるほどなのです。
金網はもう取り外されていますが、確かに今にも動き出しそうな躍動感!天井からパワーがわっさわっさと降り注いでいるようです。
別の方向から見てみると、繊細に彫られた鱗の様子がよくわかります。
別の方向から見てみると、繊細に彫られた鱗の様子がよくわかります。
大船鉾のモデルになった龍頭
幕末の元治元年(1864)に起こった禁門の変の際、祇園祭の鉾の1つ・大船鉾が焼失しました。その大船鉾が2016年に再現された際には、瀧尾神社の龍を参考にして鉾の船首に飾る龍頭が作られたそうです。
私はまだ大船鉾を見ていないのですが、今年の祇園祭ではぜひ見てみたいものです。
私はまだ大船鉾を見ていないのですが、今年の祇園祭ではぜひ見てみたいものです。
瀧尾神社の本殿
瀧尾神社の本殿は、拝殿の北に位置します。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)です。
貴船神社奥院の旧殿を移築したもので、京都市指定有形文化財にも指定されています。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)です。
貴船神社奥院の旧殿を移築したもので、京都市指定有形文化財にも指定されています。
本殿は、水を司る龍神がお祀りされている貴船神社の奥院旧殿が移築されたもので、本殿上部には十二支や龍、鳳凰に猿、鶴、象などの彫刻がぐるっと囲むように彫られています。
両脇に見えるのがオナガドリ?それとも鳳凰でしょうか?
奥にも鳥の彫刻が見えます。
奥にも鳥の彫刻が見えます。
こちらは龍ですね。
少しわかりにくいですが、寅にうさぎ、丑にねずみも!
少しわかりにくいですが、寅にうさぎ、丑にねずみも!
どれもとても見ごたえのある彫刻ですが、じっくり見過ぎると首が痛くなるので注意してくださいね。
瀧尾神社の境内を紹介
瀧尾神社はそれほど大きな神社ではありませんが、境内にはいくつかの摂社・末社があります。
本殿の東側には、子授けのご利益がある三島神社(ご祭神:木之花咲耶姫・瓊瓊杵尊の夫婦神)があり、
本殿の東側には、子授けのご利益がある三島神社(ご祭神:木之花咲耶姫・瓊瓊杵尊の夫婦神)があり、
その東には
・金刀比羅宮(ご祭神:崇徳天皇)
・瀧尾天満宮(ご祭神:菅原道真)
・愛宕神社(ご祭神:愛宕大神)
・妙見宮(ご祭神:妙見大明神)
・大丸繁栄稲荷(ご祭神:稲荷大神)
がずらっと並んでいます。
・金刀比羅宮(ご祭神:崇徳天皇)
・瀧尾天満宮(ご祭神:菅原道真)
・愛宕神社(ご祭神:愛宕大神)
・妙見宮(ご祭神:妙見大明神)
・大丸繁栄稲荷(ご祭神:稲荷大神)
がずらっと並んでいます。
大丸繁栄稲荷って?
摂社・末社の中でもちょっと聞きなれない「大丸繁栄稲荷」っていったいなんだと思いますか?
大丸とは、あの大丸百貨店のこと!
実は、大丸の創業者である下村彦右衛門がまだ行商をしているころ、毎日瀧尾神社に参拝していたそうです。そしてその後の大丸の繁栄ぶりは瀧尾神社のおかげだったと言われ、下村家は代々瀧尾神社を崇拝しているのです。
天保10年(1839)には、下村家が2500両(今ならなんと5億円!)もの寄進をして、本殿や拝殿など境内が整備されたと伝わっています。
ということで、瀧尾神社は仕事運向上・商売繁盛のご利益でも有名なのです。
大丸とは、あの大丸百貨店のこと!
実は、大丸の創業者である下村彦右衛門がまだ行商をしているころ、毎日瀧尾神社に参拝していたそうです。そしてその後の大丸の繁栄ぶりは瀧尾神社のおかげだったと言われ、下村家は代々瀧尾神社を崇拝しているのです。
天保10年(1839)には、下村家が2500両(今ならなんと5億円!)もの寄進をして、本殿や拝殿など境内が整備されたと伝わっています。
ということで、瀧尾神社は仕事運向上・商売繁盛のご利益でも有名なのです。
鳥居横にもしっかり「大丸」さんの提灯があります。
拝殿の提灯にも「大丸」「大船鉾」の文字が見えます。
拝殿の提灯にも「大丸」「大船鉾」の文字が見えます。
瀧尾神社の歴史
最後になりましたが、瀧尾神社の歴史について少し紹介しておきます。
瀧尾神社の創建ははっきりとわかっていませんが、平安末期に書かれた「源平盛衰記」の中に瀧尾神社の旧称である「武鵜社(たけうのやしろ)」という記述があるそうです。
なので、おそらく平安時代にはすでに存在していたと考えられます。
瀧尾神社の創建ははっきりとわかっていませんが、平安末期に書かれた「源平盛衰記」の中に瀧尾神社の旧称である「武鵜社(たけうのやしろ)」という記述があるそうです。
なので、おそらく平安時代にはすでに存在していたと考えられます。
もともとは東山の聾ノ谷にあったそうですが、応仁の乱で焼失し、現在地よりもう少し北の吉坂というところで「多景社」という名で再建されました。
秀吉の命で移転
天正14年(1586)には豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、現在地に遷座させられます。
こちら、方広寺の隣にある豊国神社です。
秀吉は、京都の都市改造をした時に、京都の寺社を大移動させています。瀧尾神社も太閤秀吉のわがまま(?)には勝てなかったのですね。
多景社から瀧尾神社に改称されたのは、江戸時代の宝永年間(1704~1711)のことで、下村家とのつながりもこの地に移転してから始まりました。
2024年が辰年ということもあり、瀧尾神社には普段よりも多くの方が参拝されていますが、それでも有名観光スポットに比べればぐんと静かです。
東福寺や泉涌寺などの参拝帰りにもおすすめのスポットですので、ぜひ一度お立ち寄りください。そして、迫力ある龍をじっくりとご覧になってください。
秀吉は、京都の都市改造をした時に、京都の寺社を大移動させています。瀧尾神社も太閤秀吉のわがまま(?)には勝てなかったのですね。
多景社から瀧尾神社に改称されたのは、江戸時代の宝永年間(1704~1711)のことで、下村家とのつながりもこの地に移転してから始まりました。
2024年が辰年ということもあり、瀧尾神社には普段よりも多くの方が参拝されていますが、それでも有名観光スポットに比べればぐんと静かです。
東福寺や泉涌寺などの参拝帰りにもおすすめのスポットですので、ぜひ一度お立ち寄りください。そして、迫力ある龍をじっくりとご覧になってください。
瀧尾神社の基本情報
・住所
京都市東山区本町11丁目718
・境内自由
・アクセス
最寄り駅 JR奈良線・京阪本線「東福寺」駅徒歩約3分
京都市東山区本町11丁目718
・境内自由
・アクセス
最寄り駅 JR奈良線・京阪本線「東福寺」駅徒歩約3分
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