2021年3月2日 更新

【京都登山】渡月橋を一望☆知る人ぞ知る観光名所『嵐山』の幻の山城跡「嵐山城址」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は西京区、人気観光スポット嵐山にあるもう一つのリアル『嵐山』。その山城跡。

地元民にもあまり知られていない幻の山城『嵐山城』

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京都随一の観光スポットである嵐山。そのシンボル的存在でもある渡月橋。風光明媚で観光客にも人気の場所。現在はコロナ禍、非常事態宣言発令下で橋を渡る人もかなり少ない状況ですが、コロナ前の春の桜、秋の紅葉シーズンには人数制限までされるほど、毎年混雑するスポット。

そんな嵐山ですが、じつは地元民にもあまり知られていないスポットがあり、今回はそこを目指してやってきました。


そもそも『嵐山』という地名。『山』と付くからにはそんな山が存在するのか?という単純発想から調べてみると、あったんです(笑)地名ではなく、『嵐山』という山が。

さらに、その嵐山山頂には幻の山城『嵐山城』跡があるとの情報も。
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で、その嵐山の登り口はどこだろう、と周辺の観光業に携わる方に尋ねると、皆「へ?ここが嵐山ですが何か??」という反応。「いやいや、山です山!登山の。」と言っても、皆はて?という様子。

で、その場でスマホ取り出してルートを調べると、ここから南下した場所にある松尾大社のある松尾山から尾根伝いに行ったという人の情報が。それによると、京都一周トレイルのルートを経由し、嵐山山頂にたどり着く、というもの。

そして、さらに調べると標高382mで大文字山より低い嵐山。それなのに、登った人の体験談コースタイム2時間弱くらいとか。もっと最短で行けるコースはないのかと探すも、見当たらず。登山情報の中にはけもの道みたいなとこから登って短時間だった!みたいな体験談もありましたが、恐らく私有地通るNGコース。

なので、今回は地道に京都一周トレイルを使った尾根伝いルートで行くことに。今まで、嵐山界隈で京都一周トレイルコースを意識したことありませんでしたが、平地、山側道路南下し阪急嵐山駅へ続く道との分岐点にこんなトレイル標識を発見。

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さらに道を南下するとフェンスのある駐車場脇。ちゃんとハイキングコースの入り口と案内板にあります。ここから登ります。

ちなみに今更ですが、京都一周トレイルとは、京都の東南 伏見から比叡山、大原、鞍馬を経て、高雄、嵐山、苔寺に至る京都市街を取り囲む全長約80キロのコース。地元民が気軽に利用する登山コース。
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あとは京都一周トレイルの表示に従って。最初竹林の山道が登場し、嵯峨嵐山らしいというか。
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ある程度上ると、少し視界が開けてきて、周辺を一望できる場所も。で、この辺りで登山中の人に出会い嵐山城のことを尋ねると、この京都一周トレイルコースに途中分岐点があり、そこを進むと行けることがわかりました。
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途中、山肌むき出しの場所が見え、あれはきっとモンキーパークだな、と。嵐山に近づきつつあることを実感。
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さらに案内板に差し掛かり、登山するにあたっての注意書きが表示。この地図には、城跡に関する情報なし。
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で、ここで『嵐山城址、鳥ヶ岳』の表示を発見。その通りに進みます。
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そして、ここが絶景ポイント。眼下には渡月橋が見えます。
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さらに進んで西山33。ここからいったんトレイルコースから外れ、点線になっている嵐山城址方面へ。
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尾根筋のわりと整備された道です。
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でも、途中こんなアスレチック感覚の岩石溝を通ったり。
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ちょっとおっかなびっくりな橋もわたります。
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さらに歩くと、小さいこんな表示。松尾山と鳥ヶ岳の間に嵐山がある、という案内。
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その表示板のあるところで道が二股に分かれ、矢印にそって登ります。
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少し急坂。
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すると、ありました!こちら、城址の石垣。ちょっと崩れてわかりづらいですが、確かに石垣です。途中土塁らしい場所も。
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さらに登ると、比較的きれいに整地され、あまり木々も生えていない場所。大きめの石も散乱しています。
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どうやらここが嵐山山頂、そして嵐山城址のようです。
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今から約500年ほど前に建てられた、戦国時代の典型的山城の一つに数えられ、『嵯峨城』とも呼ばれていたそうです。

明応6年(1497年)山城国の管領・細川政元の家臣であった香西元長が築城したと伝わっています。元長は永正4年(1507年)に政元を暗殺し実権を握りましたが、「百々橋の合戦」で細川高国らに敗れ討死。そして嵐山城は廃城に。その後細川晴元が引き継いだという記録もあるようですが。
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木々の隙間からうっすら桂川が見えますが、途中で見た場所より、かなり渡月橋から離れた印象。ですが、この眺望から、城を建てるには絶好の立地だっただろな、と想像できます。

結局、ここまでたどり着くのに右往左往しつつ2時間弱かかりました(汗)
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山頂周辺を見渡すと、登った人が表示してくれてるわけですが、そのフォントからも時代の古さを感じたり。いつもとは違った『嵐山』観光として、ぜひ登山体験してみてください!

詳細情報

名称:嵐山城址(嵐山山頂)
場所:京都府京都市西京区嵐山元録山町
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