2017年1月2日 更新

日本を代表する文豪・夏目漱石没後100年!最後の恋・漱石ゆかりの京都スポットをぶらり☆

昨年書く予定が間に合いませんでした(笑)日本を代表する文豪・夏目漱石の没後100年。その漱石が亡くなる1年前に訪れた京都で、最後の恋に落ちたという。今回はそんな漱石ゆかりのスポットをぶらり散策。

意外と知らない漱石と京都の関係

 (67570)

御池通。普段よく行き来する場所ですが。
 (67571)

御池大橋西詰。今まで全然気づきませんでしたが、こんな石碑。夏目漱石の句。「春の川を隔てて男女哉」。
 (67572)

夏目漱石は亡くなる前年に京都へ旅行に。その際、最後の恋に落ちたとされる祇園の茶屋「大友」の女将・磯田多佳に送った句がこれ。

木屋町御池の旅館「北大嘉」から、鴨川をへだてた祗園にいる多佳を想って詠んだ句。なんとも近づけそうで近づけない、そんな男と女のもどかしさが伝わってきます。個人的には、こんな色っぽい人ってイメージかなった漱石ですが(笑)

途中、戦況悪化でお茶屋営業禁止時期もあり

 (67574)

祗園新橋。多佳の祇園のお茶屋「大友(だいとも)」のあった界隈。今も昔も、この界隈は華やかな場所であったことがわかります。

途中、戦況悪化でお茶屋廃業になった時期もあったそうです。
 (67575)

「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」と書かれた吉井勇の歌碑が白川沿いに。そして、漱石と多佳が初めて出会ったお茶屋大友があった場所。

谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文人とも交流のあった文芸芸妓・多佳。もともと漱石のファンだった多佳は意気投合。
 (67578)

ご存知花見小路。
 (67576)

多佳の姉は祇園一力亭の女将おさだ。 多佳は6歳で井上八千代に入門。祇園の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」。最近では外国人観光客が芸舞妓の出待ち撮影で夜は人気スポット。
 (67592)

晴れたら、一緒に梅を見に北野天満宮へ行く約束をした漱石と多佳。
 (67593)

ちょっとした行き違いからそれは叶わず。漱石が過ごした最後の京都の29日間。帰京後多佳に送った手紙は、文豪らしからぬ、いや生き生きとした男・漱石を感じ取れる文面だったんだとか。

これを機会に、そんな人間臭い漱石に触れてみるのも面白いかもしれませんね(笑)

ヨ~イヤサ~♪

口コミ

14 件

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【京都珍百景】全国一景観条例の厳しい京都の地味めな看板を集めてみました!【四条通】

【京都珍百景】全国一景観条例の厳しい京都の地味めな看板を集めてみました!【四条通】

全国で最も厳しいと言われる景観条例のある京都。他府県の観光客にとって、おなじみのコンビニや飲食店の看板が京都仕様になっていたり。そんなちょっと他とはちがう看板を繁華街・四条通で集めてみました。
【京都山科】古墳ファン大コーフン!京都市内で一番古い天皇陵☆天智天皇山科陵「御廟野古墳(ごびょうのこふん)」

【京都山科】古墳ファン大コーフン!京都市内で一番古い天皇陵☆天智天皇山科陵「御廟野古墳(ごびょうのこふん)」

京都・山科にある京都では一番古い天皇陵。しかも、市内でも珍しい形状の古墳なんだとか。ぶらり散策に行ってきました。
【京都ツウ】織田信長ゆかりの旧本能寺にもスグ☆家臣時代の激アツエリア「羽柴秀吉旅宿跡」

【京都ツウ】織田信長ゆかりの旧本能寺にもスグ☆家臣時代の激アツエリア「羽柴秀吉旅宿跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は中京区、祇園祭『八幡山』のある山鉾町の史跡。かつて豊臣秀吉が織田信長家臣だった頃の旅宿跡。
【まとめ】京都の中心を流れる『鴨川』の史跡☆秘境源流地から戦国武将処刑地まで【厳選6所】

【まとめ】京都の中心を流れる『鴨川』の史跡☆秘境源流地から戦国武将処刑地まで【厳選6所】

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は地元民憩いの場であり、観光スポットでもある鴨川の史跡をまとめました。
【京都人の逆襲】東京人も実はいけずなのか!?東京で見かけた京都名物“いけず石”☆

【京都人の逆襲】東京人も実はいけずなのか!?東京で見かけた京都名物“いけず石”☆

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は京都市内でよく見かける通称『いけず石』。京都人の気質をあらわすものとして、よく揶揄されますが、意外な場所でも発見。

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

豆はなのリアル京都暮らし☆ヨ~イヤサ~♪ 豆はなのリアル京都暮らし☆ヨ~イヤサ~♪