2017年1月2日 更新

日本を代表する文豪・夏目漱石没後100年!最後の恋・漱石ゆかりの京都スポットをぶらり☆

昨年書く予定が間に合いませんでした(笑)日本を代表する文豪・夏目漱石の没後100年。その漱石が亡くなる1年前に訪れた京都で、最後の恋に落ちたという。今回はそんな漱石ゆかりのスポットをぶらり散策。

意外と知らない漱石と京都の関係

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御池通。普段よく行き来する場所ですが。
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御池大橋西詰。今まで全然気づきませんでしたが、こんな石碑。夏目漱石の句。「春の川を隔てて男女哉」。
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夏目漱石は亡くなる前年に京都へ旅行に。その際、最後の恋に落ちたとされる祇園の茶屋「大友」の女将・磯田多佳に送った句がこれ。

木屋町御池の旅館「北大嘉」から、鴨川をへだてた祗園にいる多佳を想って詠んだ句。なんとも近づけそうで近づけない、そんな男と女のもどかしさが伝わってきます。個人的には、こんな色っぽい人ってイメージかなった漱石ですが(笑)

途中、戦況悪化でお茶屋営業禁止時期もあり

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祗園新橋。多佳の祇園のお茶屋「大友(だいとも)」のあった界隈。今も昔も、この界隈は華やかな場所であったことがわかります。

途中、戦況悪化でお茶屋廃業になった時期もあったそうです。
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「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」と書かれた吉井勇の歌碑が白川沿いに。そして、漱石と多佳が初めて出会ったお茶屋大友があった場所。

谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文人とも交流のあった文芸芸妓・多佳。もともと漱石のファンだった多佳は意気投合。
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ご存知花見小路。
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多佳の姉は祇園一力亭の女将おさだ。 多佳は6歳で井上八千代に入門。祇園の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」。最近では外国人観光客が芸舞妓の出待ち撮影で夜は人気スポット。
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晴れたら、一緒に梅を見に北野天満宮へ行く約束をした漱石と多佳。
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ちょっとした行き違いからそれは叶わず。漱石が過ごした最後の京都の29日間。帰京後多佳に送った手紙は、文豪らしからぬ、いや生き生きとした男・漱石を感じ取れる文面だったんだとか。

これを機会に、そんな人間臭い漱石に触れてみるのも面白いかもしれませんね(笑)

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