2025年5月16日 更新

【京都ウォーク】西の大動脈『西国街道』ぶらり☆長岡京~えごま油発祥地~サントリー山崎工場

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は江戸時代の西日本の大動脈『西国街道』。世界遺産・東寺を起点に西へ向かって歴史街道を行く京都ウォーク。今回は前回の続き、長岡京~大阪との府境サントリー山崎工場まで。最終回。

西の東海道とも言える大動脈『西国街道』長岡京~大山崎へ

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江戸時代に整備され京都・東寺から山口県下関まで続く、東海道の西バージョンとも称される街道『西国街道(さいごくかいどう)』。かつて豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵の際には拡張整備され『唐海道(からかいどう)』とも呼ばれ、近代では『山陽道』としても知られる主要幹線道路。

その西国街道には、今でもその歴史を感じられる史跡も数多く残っています。以前にも西国街道経由で京都・長岡京から東寺を目指し、街道歩きを試みましたが、今回は東から西へ。最終、京都と大阪の府境までの道のりを数回に分けてご紹介。
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前回、JR向日町駅から長岡京までを踏破。今回はその続き、JR長岡京駅から西国街道に合流してのスタートになります。

スタートからの様子はこちら → https://kyotopi.jp/articles/DvJ7Z
                https://kyotopi.jp/articles/QLjrH

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JR長岡京駅前通りからフレンドマート脇にある、こちらの通りが西国街道になります。今回はここからスタート。今まで西国街道も長岡京までは来たことがあったものの、その先は今回が初めて。
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この日はちょうどGW中のこどもの日で、どこの神社も春の大祭シーズン。こちらの氏神様、神足神社でもお祭りだった様子。

そして、かつてのJR駅が『神足(こうたり)駅』だったことを思い起こさせるホームの駅表示。1995年に神足駅から現在のJR長岡京駅に改称。
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さらに進むと、『長岡京市立神足ふれあい町家』。建物は国登録有形文化財で江戸末期の町家「旧石田家住宅」を利用して市民が集う施設として活用。
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中にはカフェもあり、この時期にふさわしく筍料理や甘味を提供されていました。この日は室内に鯉のぼりや五月人形も展示されていて、無料で見学ができるということで立ち寄りました。
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旧石田家は商家として「紙屋清兵衛」の屋号で和紙などを扱っていたとか。落ち着いた佇まいの京町家には立派な五月人形やかなり大きな鯉のぼりが。この時期らしい展示が見学でき、ラッキーでした。
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そこからさらに街道を進むと、『新西国街道』と『西国街道』が存在するエリアに。もちろん細い通りの西国街道を進みます。
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途中、『与市兵衛の墓』という場所に。

正式には「高野聖寄宿供養名号碑」と呼ばれる石碑で、清誉浄佐という人が両親を供養するため、高野聖を1,000人寄宿させた記念の石碑。人形浄瑠璃や歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する「与市兵衛」の墓として誤って伝わっているとか。
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細い街道から住宅街を抜けると、名門私立・立命館中・高等学校が。そういえば身近に受験生がいました(笑)大学は衣笠や滋賀、小学校は北大路にありますね。

学校のグラウンドに沿うように西国街道を進みます。
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街道らしいベンガラ色の旧家。

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さらに、国の登録有形文化財で、江戸末期に建てられた主屋のある『中野家住宅』。こちらは現在建物を利用して、おばんざいとお酒を提供する飲食店に。
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ちょっと拓けた場所に差し掛かり、いくつもの道路が交差する京都縦貫自動車道高架下、長岡ICすぐの場所。
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そんな高架下に史跡がいくつかあり、こちら『調子八角の道標』。

西国街道と丹波街道の交差点「調子八角」にある、道案内として建てられた石標。特に愛宕詣(あたごめ)に向かうための道標として知られています。元禄12年(1699年)に建立され、石標には西国街道を「あたご道」、丹波街道を「たんば道」と記していると伝えられています。

実際、どちらの方向に行けばいいのやら、かなり迷った場所でもあり、かつてこの道標が多くの往来する人々の目印になったんだろうな、と。
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さらに『馬ノ池の水 』。

地下水100%の水道水供給施設で、かつてこの地にあった小倉神社の祭りの際に稚児を乗せる馬を清めた三角形の小さな池から名付けられたと伝わる池。

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このあたり、迷いに迷って恐らくこの道だろう、という高架沿いの小泉川あたりに。
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西国街道沿いの目印となる大山崎町役場に。マンホールのモチーフは桜、ウグイス、赤松。そういえば、大山崎エリアではかなり上手に鳴くウグイスによく遭遇しました(笑)

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あとはしばらくこの広い道路、府道67号線をひたすら大阪へ向かって進みます。若干、今までより街道らしい風情には欠けますが。
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道沿いに史跡発見、『大山崎の東黒門跡』。

江戸時代後期まで存在した、この大山崎集落の東西に設けられた東黒門・西黒門のうちの東黒門跡。 戦国時代、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、俗に言う中国大返しで戻った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が激突した山崎の合戦で、秀吉軍・高山右近が東黒門を陣取り、光秀軍との小競り合いから合戦が始まったと伝わる場所。
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さらに進むと、阪急・大山崎駅前。天下分け目の天王山が山手にある場所。この辺りには、そんな山崎の合戦にまつわる史跡が多数あり。
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さらに街道沿いには、古い時代に創建された『離宮八幡宮』。油の神様。えごま油発祥の地で、八幡市にある石清水八幡宮の元宮と称される歴史ある神社。途中、立ち寄ってお参りし、御朱印と御神油のえごま油をいただきました。


この辺りはかつての宿場の名残りらしく、小さな鄙びた宿が今も存在していました。
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そして、ここがちょうど京都と大阪の府境。
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ここから先は大阪になるわけで、京都エリアの西国街道レポートはここまで。
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余談ですが、直ぐ近くにはサントリー山崎蒸留所がJR京都線の線路隔てた場所にあり、その背後には天王山。

今回、西国街道を京都と大阪の府境まで歩き、まったく未踏エリアもあり新鮮な体験でした。個人的にはさらに続く西国街道を西へ進む予定です。ご参考に。

西国歩きマップ

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