歴史ある競馬場コース中央に池や島が!?
※以下、非常事態宣言発令前の様子になります。
調べ事をしていて、たまたま見ていたグーグルマップ上にある京都競馬場。で、よくよく見ていて、競馬場の中央にある水色の部分。かつて、競馬場に訪れ競馬観戦したこともありましたが、そんな水場あったっけ?と。
その水場、池はどうやら楕円形のコースの中央にあり、さらに池の真ん中に『弁天島』という島まで存在する様子。
日本各地の競馬場を知り尽くしているわけではありませんが、競馬場のコースの中央に池があって、さらに島があるような競馬場なんてかなり珍しいのではないかと。他、小倉競馬場(北九州市)のコースの一部に池があるそうですが、ここまで広大な池はここだけみたいです。
日本各地の競馬場を知り尽くしているわけではありませんが、競馬場のコースの中央に池があって、さらに島があるような競馬場なんてかなり珍しいのではないかと。他、小倉競馬場(北九州市)のコースの一部に池があるそうですが、ここまで広大な池はここだけみたいです。
明治40年(1907)に現在の下京区に島原競馬場が新設されたのが京都での競馬場の始まり。大正2年(1913)に競馬場が焼失。現在の京丹波(船井郡須知町)に移設され、須知競馬場と改名。島原競馬場の跡地には現在京都リサーチパークが建っています。ちょっと驚きの事実。
そして、大正14年(1925)に現在地に移転。当時、この東に存在した伝説の巨大池・巨椋池の排水路跡、葭島新田西端部の沼地のような地盤に作られ、非常に馬場状態が悪く、改良のため馬場に畳床を敷き詰めたという逸話も残るほど。
当時、湿地帯の排水で工事が難航し、コスト面も含め全面埋め立てが難しかったとか。そのため、このような池のあるコースに着地したと言われています。そんな経緯もあり、池の中央に島をつくり弁財天を祀ったんでしょうね。水の神様。
地図を見ると、宇治川もすぐそばにあり、今ではその痕跡をたどるにとどまりますが、巨椋池がどんだけ巨大な湖級の池であったかということに驚かされます。
そして、大正14年(1925)に現在地に移転。当時、この東に存在した伝説の巨大池・巨椋池の排水路跡、葭島新田西端部の沼地のような地盤に作られ、非常に馬場状態が悪く、改良のため馬場に畳床を敷き詰めたという逸話も残るほど。
当時、湿地帯の排水で工事が難航し、コスト面も含め全面埋め立てが難しかったとか。そのため、このような池のあるコースに着地したと言われています。そんな経緯もあり、池の中央に島をつくり弁財天を祀ったんでしょうね。水の神様。
地図を見ると、宇治川もすぐそばにあり、今ではその痕跡をたどるにとどまりますが、巨椋池がどんだけ巨大な湖級の池であったかということに驚かされます。
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