2020年6月30日 更新

【京都ぶらり】豊臣秀吉造営『御土居』の他にもう一つあった!蓮如上人ゆかり「山科本願寺土塁跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区の公園内にある史跡。かつてここを拠点とした浄土真宗の中興の祖・蓮如上人ゆかりの土塁跡。

国の史跡にも指定される知る人ぞ知る洛外『御土居』跡

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山科区西野、ちょうど区の中心にある山科中央公園。
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広大なグランドがあり、様々なイベントやスポーツに活用される区民憩いの場。
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そんな公園の北側に鬱蒼と広がる森。ちょっとした小山になっています。
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その小山には、階段や遊歩道も設けられ、ちょっとしたアスレチック散策スペース。
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そんな階段脇にある小さな石標。『山科本願寺土塁跡』と書かれています。

あまり地元民にも知られていませんが、かつて戦国時代、この場所には「寺中広大無辺にして荘厳、さながら仏国の如し」と威容をうたわれた山科本願寺の土塁のあった場所で、その一部がこの小山にあたります。
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1478年に浄土真宗の中興の祖・8代蓮如上人が造営を開始し、南北約1キロ、東西約800メートルに及んだ「蓮如が築いた城」とも称される寺域に張り巡らされた土塁。

本願寺は時代によって、その拠点を変えていますが、宗祖蓮如上人の時代はここ山科を拠点に。
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寺は最終的に3つの郭(くるわ)で構成。阿弥陀堂や宗祖親鸞像を祀る御影堂のあった「御本寺(ごほんじ)」。その周りに僧が住んだ「内寺内(うちじない)」。さらにその周りに町衆の家が並んだ「外寺内(そとじない)」。その内寺内と外寺内を隔てる土塁北東角の一部がここ。

こんな具合に土塁上を散策できます。
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調査によれば、土塁の高さは約6メートルあり、堀も存在し推定幅10~11メートルほど。

巨大な要塞は1532年、法華宗や延暦寺、六角氏に攻められ焼失。今ではこの土塁跡や周辺に集中する本願寺関連のお寺にその名残りを見て取れます。

かつてそんな土塁があったとは、意外と地元民にも知られていない史跡。

基本情報

名称:山科本願寺土塁跡
場所:京都市山科区西野大手先町 16−9
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