2020年7月20日 更新

【京都ぶらり】住宅街の広大な空地!浄土真宗中興の祖・蓮如上人の隠居城跡「山科本願寺南殿跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区音羽にある、浄土真宗の中興の祖・蓮如上人の隠居城跡。

住宅街に突如現れる広大な空地

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山科区音羽。地下鉄東野駅から北東にある閑静な住宅街。この辺りも最近シリーズ化したようにご紹介している浄土真宗中興の祖・蓮如上人ゆかりの地。

傍らの石標は墓所へと続く道案内。
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そして、すぐ近くにはこれまた蓮如上人ゆかりのお寺・泉水山光照寺があります。真宗大谷派の末寺。
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町名から察するに、この辺りにはかつて宿場があったんですかね。
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その東側。フェンスで囲われた広大な空地。その中に案内板と石碑が。
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ここは、かつて蓮如上人が造営された山科本願寺南殿のあった場所。市の史跡にも指定されています。
© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

かつて戦国時代、この山科には「寺中広大無辺にして荘厳、さながら仏国の如し」と威容をうたわれた山科本願寺があり、それを築いたのが蓮如上人と言われています。

こちらは現在の山科区の航空地図。

かつて山科本願寺は3つの郭(くるわ)で構成され、阿弥陀堂や宗祖親鸞の像を祀る御影堂があった「御本寺」、僧が住んだ「内寺内」、町衆の家が並んだ「外寺内」。そして晩年蓮如上人が過ごしたここ「南殿」。今日までの調査で明らかになっています。
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南殿は、蓮如上人は一時石山に居を移しましたが、再び南殿に戻り隠居し、明応8年(1499)に没しています。天文元年(1532)、法華宗や延暦寺、六角氏に攻められ山科本願寺とともに南殿も焼失。
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これを見る限り、南殿がかなり広大な敷地を有していたことがわかります。この空地以外のこの辺りの住宅地を含めた一帯がその敷地になります。
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隣接する幼稚園奥には竹藪があり、これもかつての名残りなんでしょうか。鬱蒼とした草むらになっていますが、ここにも土塁や堀がかつてあんたんでしょうね。
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さらに南殿跡から少し西へ。住宅街の道の真ん中に突如現れる瓦屋根の建物。
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こちらは蓮如上人御指図の井戸。かなり大きめの井戸ですが。
この辺りはかつて井戸水に恵まれない土地でしたが、延徳元年(1489)蓮如上人隠居の際、ここを杖で指図され掘り下げると清水がこんこんと湧き出し、この辺りで唯一の用水として活用。これを機に真宗に懐疑的だったこの辺り一帯の村民も門徒になったと伝えられています。

この界隈がかつて本願寺色強い土地柄であったことを物語る史跡めぐりでした。

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