2019年8月25日 更新

【京都の通りぶらり】緩やかに蛇行する広々と緑豊かな通り!琵琶湖疏水分水復活☆「紫明通」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は北区にある東は加茂街道、西は堀川通との間を走る通り。そこには歴史あり。

他の通りとは異質な趣きの紫明通

 (161664)

京都市北区にある、東は加茂街道、西は堀川通との間を走る紫明通(しめいどおり)。
いつもこの通りを通るたびに、他の市内の道とは異質な雰囲気の通りだなぁと思っていて、その成り立ちについて知りたいと思っていました。
 (161666)

 (161667)

私の意識の中で紫明通の印象としては、かつて京都中華の歴史を語る上でハズせない、広東料理店「鳳舞」があった通り、ということに尽きます。2009年に閉店し、今は趣きあった建物すら存在しませんが。

 (161663)

道幅20メートルもある広々とした空間に、なぜか中央分離帯も広々設けられて、緑豊かな公園が設置。そして通りは緩やかに蛇行しています。
 (161657)

中には、中央分離帯に駐車場まであります。
 (161659)

堀川通りとの交差点では、特に憩いの場として機能させるために造った、というわけでもない公園スペースが歩行者用通路と同化。
 (161660)

さらに堀川通より西へ行くと鞍馬口通に吸収され、消滅。
 (161658)

なぜこんな形態の通りになったか。そこには京都の都市整備の歴史が関係します。

現在の紫明通北側には、かつて琵琶湖疏水が流れていました。第二次世界大戦末期、防火帯設置のため、家屋の強制撤去が行われ道幅拡張。

もともと蹴上から松ヶ崎、下鴨を経て、賀茂川をくぐり堀川へ抜ける琵琶湖疏水分線の経路の一部でしたが、戦後の河川整備によって水路閉鎖。

2002年度から堀川水辺環境整備事業で、琵琶湖疏水分線の水を使った親水公園を中央分離帯に整備。2009年には再び通水が開始され、堀川の水流が復活。そんな琵琶湖疏水の歴史ともリンクする通り。

 紫明通の語源については、比叡山の最高峰・四明岳が真東に望めることから、頼山陽による造語「山紫水明」にちなんで名づけられたとか。なんともその名にふさわしい歴史をたどった通りですね。

紫明通 へのツイート

基本情報

14 件

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【京都ぶらり】明治時代につくられた水路『琵琶湖疏水』哲学の道経由で北上する疏水分線をたどる【後編】

【京都ぶらり】明治時代につくられた水路『琵琶湖疏水』哲学の道経由で北上する疏水分線をたどる【後編】

今回は明治時代に整備され、水運、電力など近代産業の発展に寄与した水路『琵琶湖疏水』。中でも、哲学の道を経由して北上する「疏水分線」をたどりました。その後編。
【京都マニアック通り】平安京の大動脈・朱雀大路があった南北を走る通り☆「千本通」前編

【京都マニアック通り】平安京の大動脈・朱雀大路があった南北を走る通り☆「千本通」前編

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は市内南北を走る古い歴史ある通り。そして、かつて平安京の中央道・朱雀大路をも含んだ通り。北から南の端まで意外と長距離の千本通をめぐってきました。その前編。
【京都ぶらり】堀川通にある忠臣蔵・討ち入りで知られる『赤穂義士四十六士遺髪塔跡』

【京都ぶらり】堀川通にある忠臣蔵・討ち入りで知られる『赤穂義士四十六士遺髪塔跡』

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は上京区、堀川紫明下がった場所にある、忠臣蔵・討ち入りで知られる赤穂義士にまつわる史跡。
【京都ぶらり】偉大なる明治近代化産業の礎となった史跡「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」

【京都ぶらり】偉大なる明治近代化産業の礎となった史跡「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区地下鉄御陵駅前にある史跡。明治時代に興った近代化産業、琵琶湖疏水に欠かせなかった煉瓦工場跡。
【京都ぶらり】江戸時代の西日本大動脈『西国街道』を歩く☆後編・前編~東寺

【京都ぶらり】江戸時代の西日本大動脈『西国街道』を歩く☆後編・前編~東寺

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は江戸時代の西日本の大動脈『西国街道』。東寺から下関まで続く長距離街道。そのうちの京都エリア、長岡京から東寺を目指し歩いた記録、後編。

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

三杯目 J Soup Brothers 三杯目 J Soup Brothers