2019年8月25日 更新

【京都の通りぶらり】緩やかに蛇行する広々と緑豊かな通り!琵琶湖疏水分水復活☆「紫明通」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は北区にある東は加茂街道、西は堀川通との間を走る通り。そこには歴史あり。

他の通りとは異質な趣きの紫明通

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京都市北区にある、東は加茂街道、西は堀川通との間を走る紫明通(しめいどおり)。
いつもこの通りを通るたびに、他の市内の道とは異質な雰囲気の通りだなぁと思っていて、その成り立ちについて知りたいと思っていました。
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私の意識の中で紫明通の印象としては、かつて京都中華の歴史を語る上でハズせない、広東料理店「鳳舞」があった通り、ということに尽きます。2009年に閉店し、今は趣きあった建物すら存在しませんが。

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道幅20メートルもある広々とした空間に、なぜか中央分離帯も広々設けられて、緑豊かな公園が設置。そして通りは緩やかに蛇行しています。
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中には、中央分離帯に駐車場まであります。
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堀川通りとの交差点では、特に憩いの場として機能させるために造った、というわけでもない公園スペースが歩行者用通路と同化。
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さらに堀川通より西へ行くと鞍馬口通に吸収され、消滅。
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なぜこんな形態の通りになったか。そこには京都の都市整備の歴史が関係します。

現在の紫明通北側には、かつて琵琶湖疏水が流れていました。第二次世界大戦末期、防火帯設置のため、家屋の強制撤去が行われ道幅拡張。

もともと蹴上から松ヶ崎、下鴨を経て、賀茂川をくぐり堀川へ抜ける琵琶湖疏水分線の経路の一部でしたが、戦後の河川整備によって水路閉鎖。

2002年度から堀川水辺環境整備事業で、琵琶湖疏水分線の水を使った親水公園を中央分離帯に整備。2009年には再び通水が開始され、堀川の水流が復活。そんな琵琶湖疏水の歴史ともリンクする通り。

 紫明通の語源については、比叡山の最高峰・四明岳が真東に望めることから、頼山陽による造語「山紫水明」にちなんで名づけられたとか。なんともその名にふさわしい歴史をたどった通りですね。

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