2016年2月29日 更新

市役所前 日本が動いた歴史を感じる「本能寺」映画やリズムネタでも旬な観光スポット。

市役所前の三条寺町というアクセス抜群の立地に「本能寺」があります。そう、明智光秀が織田信長を襲撃したとされる本能寺の変の舞台となった場所です。

「本能寺の変」の方がイメージが強く、「本能寺」と言えば織田信長や明智光秀を思い浮かべる方も多いと思います。
そんな本能寺ですが、実は日蓮の教えをひろめる法華宗本門流の大本山として、歴史的にみても庶民信仰の中核として大きなは働きを果たしてきた場所でもあります。

そういえば現在公開中の小栗旬さん主演の「映画 信長協奏曲(ノブナガコンチェルト)」も「本能寺の変」が舞台です。
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀が謀反を起こして京都の本能寺に宿泊していた主君織田信長を襲撃した事件である。
信長は寝込みを襲われ包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり自害した。2人の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に殺害または自害した。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上も言われる。

三条寺町という最高の立地

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寺町側の表門。実は1591年に豊臣秀吉の命令でこちらの場所へ移転しましたが、もともとは油小路高辻と五条坊門の間に本能寺は創建されました。
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ケヤキ材で創建された本堂は、昭和3年に再建されたものです。当時の面影が残された設計となっています。こちらの本堂は登録有形文化財とされています、ちなみに表門と信長公御廟所拝殿も登録されています。

信長の墓、ここにあり。

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本堂の奥、南東に位置する「信長公廟」は、三男信孝によって建てられたそうです。

「信長公廟」はお墓とされていますが、実は全国各地に約20か所あるそうですよ(笑)
ただ、そのほとんは通常未公開となっており、公開されている「信長公廟」は貴重な文化財です。

本能寺の気になるアレコレ

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「火伏せのイチョウ」と銀杏と呼ばれています。その所以はというと天明の大火(1788年)のとき、この銀杏の木の元に身を寄せ合った数十人を炎から守ったと言われているからです。
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気付かれにくいのですが、河原町通りに裏門があり、こちらからも入れますよ。
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元々は法華宗信徒のための宿泊施設が発端でしたが、、京都を訪れる修学旅行生が同じ宿で全校生徒が過ごすことのできる規模の施設を作りたいう思いの元、昭和37年に開業されました。
当時は、大型の宿泊施設が少なく、修学旅行生がバラバラに泊まっていたようです。めっちゃ不便でしたね。
三条寺町、市役所前という好立地にはあるものの外はからは見え辛く意外と場所を知られていない本能寺。

「信長協奏曲」やリズムネタでも話題ですので、これを機に一度訪れてみてはいかがでしょうか。

本能寺へのTweet

本能寺 基本情報

■ 名称
法華宗大本山 本能寺
■ 住所
京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町
■ 拝観時間
6:00~1700
■ 公式HP
http://www.kyoto-honnouji.jp/
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