2021年3月20日 更新

【京都ぶらり】清水寺創建の伝説武将・坂上田村麻呂が直立埋葬された地「西野山古墳」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区にある平安時代の伝説の武将・坂上田村麻呂の墓。

山科の山中街道沿いにある伝説武将のお墓

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山科区西野山。新十条通から稲荷山トンネル、新大石道が交差する場所。
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ここから南へ行くと、忠臣蔵・赤穂浪士の大石内蔵助ゆかりの大石神社があります。境内のしだれ桜もそろそろ見頃でしょうか。
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で、その新大石道から山手へ分岐する細い通り、滑石街道があります。現在では京都府道118号勧修寺今熊野線にあたり、この山科から東山区今熊野に抜ける山越えコース。

今回は、その街道途中に古墳がある、というのでやってきました。
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あまり車も通っていない、こんな道。
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途中、山科区を一望できる場所にも。
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あまりにも車や人が通らないので、若干不安にもなりますが(笑)山を蛇行しながら登っていくような街道。
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そして、途中大きなヘアピンカーブを経て、さらに進んだ場所、フェンスのある竹藪沿い。
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そのフェンス中に、『この付近 西野山古墓』とあります。目指していかないと、見過ごしてしまいそうな、そんな目立たなさ。
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その石標前にはお花も供えられています。

この西野山古墳は平安時代の初めに桓武天皇の下で蝦夷征討に活躍した武将・公卿の坂上田村麻呂の墓と言われています。
征夷大将軍も務め、平安京の守護神的役割を果たした人物。
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坂上田村麻呂の墓所は、ここから東、勧修寺の坂ノ上田村麻呂公園内にありますが、実際にはここに埋葬されていた、と言われています。

大正8年(1919年)、地元住民が木棺墓を偶然発見。そこから京都大学考古学研究室・梅原末治の調査で金装大刀、金銀平脱双鳳文鏡、鉄鏃などの副葬品が発掘され、その後歴史考古学研究家や京都大学の調査により、ここが坂上田村麻呂の墓である可能性が極めて高いと結論づけました。
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実際、古墓そのものは竹藪に覆われ、どこにあるかもわからないような状態で、京都市教育委員会が1970年代に調査するも発見できなかったとか。

坂上田村麻呂は『清水の舞台』でも知られる観光スポット・清水寺を創建したことでも知られる人物。

さらに、嵯峨天皇の勅命で死後甲冑・剣や弓矢をつけた状態で棺に入れられ、死んでもなお平安京の守護神であれとの願いも込めて、平安京にむかって直立埋葬されたとの伝説もある武将。その直立埋葬が行われた場所がここということになるんでしょうかね。

なかなかの秘境感ある場所です。かなりマニアックな古墳めぐりと言えますね(笑)

基本情報

名称:西野山古墳
場所:京都市山科区西野山岩ケ谷町
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