祇園祭が長らく断絶した幕末の大火災『どんどん焼け』の火元
かつて藩邸は南北の2ヶ所に分かれ、北の屋敷は表口約70メートル、南の屋敷は表口約54メートルあり、広い敷地を有しました。
元治元年7月18日(1864年8月19日)、蛤御門の変(禁門の変)に伴い、この長州藩邸も火をかけられ、市内に甚大な被害をもたらした大火『どんどん焼け』は現在執り行われている祇園祭にもつながります。
この大火で山鉾町に多大な被害をもたらし、ほぼ無事だったのは長刀鉾・函谷鉾・月鉾・岩戸山・霰天神山・伯牙山・保昌山だけで、菊水鉾・大船鉾・綾傘鉾・蟷螂山・四条傘鉾は焼失し以後長い間断絶。
その後、ほとんどの山鉾が再興され、一番最近再興されたものでは大船鉾が記憶に新しいですね。
そして、今年193年ぶりに唐櫃が祇園祭後祭の山鉾巡行に参加する鷹山もこの大火でダメージを受け長年断絶していたが、令和4年(2022年)までに大屋根をつけた曳山として巡行参加することが決定。
元治元年7月18日(1864年8月19日)、蛤御門の変(禁門の変)に伴い、この長州藩邸も火をかけられ、市内に甚大な被害をもたらした大火『どんどん焼け』は現在執り行われている祇園祭にもつながります。
この大火で山鉾町に多大な被害をもたらし、ほぼ無事だったのは長刀鉾・函谷鉾・月鉾・岩戸山・霰天神山・伯牙山・保昌山だけで、菊水鉾・大船鉾・綾傘鉾・蟷螂山・四条傘鉾は焼失し以後長い間断絶。
その後、ほとんどの山鉾が再興され、一番最近再興されたものでは大船鉾が記憶に新しいですね。
そして、今年193年ぶりに唐櫃が祇園祭後祭の山鉾巡行に参加する鷹山もこの大火でダメージを受け長年断絶していたが、令和4年(2022年)までに大屋根をつけた曳山として巡行参加することが決定。
京都長州藩邸跡 へのツイート
今日は禁門(蛤御門)の変が勃発して150年。この戦いで長州藩が藩邸に放った火をきっかけに京の街が焼け、大船鉾など貴重な文化財が消失しました。その大船鉾、今年150年ぶりに祇園祭 後祭の山鉾巡行に参加!ぜひ、お見逃しなく! #祇園祭 pic.twitter.com/gWndXGgHk0
— 京阪電車おでかけ情報【公式】 (@okeihan_net) July 18, 2014
基本情報
名称:長州藩邸跡
住所:京都市中京区一之船入町
住所:京都市中京区一之船入町
12 件